と斎部氏との社会的位置が同じであつた、といふ事からして、誤りである。斎部氏は最初から、決してみこともち[#「みこともち」に傍線]ではなかつたのである。謂はゞ、山祇のみこともち[#「みこともち」に傍線]といふ事になりさうに思ふ。ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]の基礎になるいはひごと[#「いはひごと」に傍線]を、伝誦する部曲及び伴造であつたので、天子の代宣者とは言へないのである。古典研究者の資料鑑別眼が、幾ら進んでも、心理的観入の欠けた研究態度を以て、科学とする間は駄目だ、と思ふ。さういふ訣で、天子のみこともち[#「みこともち」に傍線]は、中臣氏である。だが、此は、根本に於ての話である。
広い意味に於ては、外部に対して、みこと[#「みこと」に傍線]を発表伝達する人は、皆みこともち[#「みこともち」に傍線]である。諸国へ分遣されて、地方行政を預る帥・国司もみこともち[#「みこともち」に傍線]なれば、其下役の人たちも亦、みこともち[#「みこともち」に傍線]として、優遇せられた。又、男のみこともち[#「みこともち」に傍線]に対して、別に、女のみこともち[#「みこともち」に傍線]もある。かういふ風
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