てゐるが、太夫をみこともち[#「みこともち」に傍線]と訓む例もある。何れにしても、みこと[#「みこと」に傍線]を持ち伝へる役の謂であるが、太夫の方は稍低級なみこともち[#「みこともち」に傍線]である。此に対して、最高位のみこともち[#「みこともち」に傍線]は、天皇陛下であらせられる。即、天皇陛下は、天神のみこともち[#「みこともち」に傍線]でお出であそばすのである。だから、天皇陛下のお言葉をも、みこと[#「みこと」に傍線]と称したのであるが、後世それが分裂して、天皇陛下の御代りとしてのみこともち[#「みこともち」に傍線]が出来た。それが中臣氏である。
古語拾遺は、其成立の本旨から見ても知れる如く、斎部広成が、やつき[#「やつき」に傍点]となつて、中臣・斎部の同格説を唱へてゐるが、私は元来、あの古語拾遺に余り重きを置いてゐない。古い事を研究するのには、あまり大切なものとは思へぬ。尠くとも、私の研究態度には、足手纏ひにこそなれ、あまり役立つて来てゐない事を告白する。私は、あの中には、確に、後世的の合理説が這入つてゐる、と思ふ部分が多いのであるが、そんな事は第二として、抑《そもそも》、中臣氏
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