、日本紀の方には、これを「則自[#二]※[#「木+患」、第3水準1−86−5]日二上天浮橋[#一]立[#二]於浮渚在平処[#一]」となつてをり、更に一書にも、別様に伝へてゐるではないか。此等は何れも、それ/″\の、伝承の価値を重んじて書いたもので、後世の理会では、妄りに動かす事が出来ないから、記録当時まで、元の姿で置かれてゐたのである。
ところが、実用語となると、そんな訣にはいかない。新しい意味が加はると、段々其方に移つて行くから、何処までが、果して根本の語義に叶うてゐるのか、訣らなくなつて了ふ。今日伝はつてゐる解釈は、畢竟誰かゞ、いゝ加減な所で、合理的に解釈して出来たのではあるまいか、と思ふ。
とにかく、古い言葉を仔細に研究して見ると、今までの伝統の解釈は、殆ど唯、碁盤の上の捨て石の様な、見当定めの役の外、何にもなつてゐない事が多い。随つて、そんなものを深く信じ、基準にして、昔の文章を解く事は出来ないと思ふ。

     三

日本人の物の考へ方が、永久性を持つ様になつたのは、勿論、文章が出来てからであるが、今日の処で、最古い文章だ、と思はれるのは、祝詞の型をつくつた、呪詞であつて、
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