であつて、つまり、魂を衣につけて分配するのである。

     六

以上述べたやうに、日本人は一つの行為によつて、其に関聯した幾多の事実を同時に行ひ、考へる、といふ風がある。即、家のほかひ[#「ほかひ」に傍線]をする事は、同時に主人の齢をことほぐ[#「ことほぐ」に傍線]事であり、同時に又、土地の魂を鎮める所以でもある。かういふ関係から、日本の昔の文章には、一篇の文章の中に、同時に三つも四つもの意味が、兼ねて表現されてゐる。ちよつと見ると、ある一つの事を表現してゐる様でも、其論理をたぐつて行くと、譬喩的に幾つもの表現が、連続して表されてゐる事を発見する。しかも、作者としては、さうした多数の発想を同時に、且直接にしてゐるのであつて、其間に主属の関係を認めてゐない。此が抑、八心思兼神の現れる理由である。思兼神とは沢山の心を兼ねて、思ふ心を完全に表現する、祝詞を案出する神である。つまり、祝詞の神の純化したものである。かういふ風に、日本の古い文章では、表現は一つであつても、其表現の目的及び効力は複数的で、同時に全体的なのである。
処が、わが古典を基礎にした研究者なる、神道家の大部分又は、其西洋式の組織を借りこんで来た神道哲学者流には、其点が訣つてゐない。そして、其が訣らないから、古代人の内生活は、極めて安易に、常識的にしか、理解せられて来ないのである。見かけは頗《すこぶる》単純な様でも、其効力は、四方八方に及ぶのが、呪詞発想法の特色であつて、此意味に於て、私は祝詞ほど、暗示の豊かな文章はないと思ふ。
次に此「のりと」といふ語の語義は、昔から色々に解説せられてゐるが、のりと[#「のりと」に傍線]とは、初春に当つて、天皇陛下が宣処《ノリト》即、高御座に登られて、予め祝福の詞を宣り給ふ、其場所のことである。つまり、のりと屋[#「のりと屋」に傍線]・のりと座[#「のりと座」に傍線]の意味である。天皇陛下が神の唱へ言をされて、大倭根子天皇の資格を得させ給ふ場所が、即「のりと」である。そして其場合に、天皇陛下の宣らせ給ふ仰せ詞が「のりとごと」である。最初には、予めの祝福、即「ことほぎ」であつたが、次第に其が分化して、後には讃美の意味にもなり、感謝の意味にも転じた。
酒楽《サカホカヒ》なども、最初は、酒を醸す時の祝福の詞及び、其に伴ふ舞踊であつたのであるが、後には、其醸された酒を飲む事までも云ふ様になつた。そこで最初は、良い酒が出来るやうに、と祝福する詞が同時に、飲用者の健康を祝福する意味を兼ねる事にもなり、更に転じては又、旅から戻つた者の疲労を癒し、又病気の治癒を目的として、酒を飲むといふ事にもなつた。つまり此も、論理の堂々廻りである。かういふ風で祝詞には、祝福の意味と共に、感謝と讃美との意味が、常に伴うてゐるのである。
かくの如く、昔の日本人が、すべての事を聯想的に見た事は、又、譬喩的に物を見させる事でもあつた。「天の御柱をみたて」るといふ事などは、私は、現実に柱を建てたのではなく、あるものを柱と見立てゝ、祝福したのであると見たい。淡島を腹として国生みをする、といふ事も、昔から難解の句とせられてゐて、或学者は、此を「長男として」の義に解したが、誤りである。国を生むには、生むべき腹がなければならぬ。そこで、其腹を淡島に見立てられて、国を生ませられたのである。即、此も一種の「見立て」思想なのである。
この「見立て」の考へは、祝詞の考へ・新室のほかひ[#「新室のほかひ」に傍線]の考へ・大殿ほかひ[#「大殿ほかひ」に傍線]の考へと、互ひに聯関してゐるものであつて、殊に其中心勢力になつてゐるものは、祝詞であるから、祝詞の研究を十分にしたならば、今まで解けなかつた、神道関係の不可解な事も、存外、明らかに釈けて来さうに思ふ。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「神道学雑誌 第五号」
   1928(昭和3)年10月
※「講演筆記」の記載が底本題名下にあり。
※底本の題名の下に書かれている「講演筆記。昭和三年十月「神道学雑誌」第五号」はファイル末の「初出」欄、注記欄に移しました。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字は本文中に小書き右寄せになっています。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2007年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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