たのにも、原因はあります。
神授の物を授けてはならないと言つて、旧信仰の忘れ形身の様な個性尊重説の下に動きのとれなくなつてゐる教育家は、実は自身の個性に信頼が出来ないのです。自身侮り、卑下して居て、個性の戦争などに思ひの及ぶはずもありません。教育は職業になりました。合同作業になりました。被教育者の個性の征服は勿論、教育者同士の間にも、もつと妥協態度を棄てる必要がありはしませんか。お互の教育効果を減殺する事を気にするより先に、影響の強さを競ふつもりになつて欲しいものです。競争の成心なく、自然に揉み合ひ、凌ぎあひの行はれるのを理想とします。
国語教育を受け持つ者が、何の為に英語や、数学や博物の教師と協調して行く必要がありませう。思ふ存分に力を伸べてこそ、真の効果は生じるのです。被教育者の能力は、教育者の空想する程貧弱なものではありません。各学科その効果を争ふ必要があります。国語科の先生は、常に、不生産的な学科だと言つた自覚に尻ごみして、けなされ勝ちになつて居ます。此は教育の目的を、功利的に考へてゐるからの自卑です。どうもやつぱり、読み書きに国語教育の本旨があると考へる人が多い様なのは困りま
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