、いつも亭主側からは問題として眺められた訣であらう。事実はそんなにまで、極端ではなかつたらうと思はれるが、其俤を伝へる物語は、この秘密の尊重と言ふ点に、足場を据ゑてゐる。此に、信仰の段々純化せられて来た時代の考へ方を入れて、説明すると訣り易い。
妻が其「本の国」の神に事へる物忌みの期間は、夫にも窺はせない。若し此誓ひを夫が破ると、めをと仲は、即座にこはれてしまふ。見るなと言はれた約束に反いた夫の垣間見が、とんだ破局を導いた話は、子どもが家庭生活をこはした物語同様、数へきれない程にある。
垂仁天皇の皇子ほむちわけ[#「ほむちわけ」に傍線]が、出雲国造の娘ひなが媛[#「ひなが媛」に傍線]の許に始めて泊つて、其様子を隙見すると、をろち[#「をろち」に傍線]の姿になつて居たので遁げ出すと、媛の蛇は海原を照して追うて来たとある。此話に出産の悩みをとり込んだのが、海神の娘とよたま媛[#「とよたま媛」に傍線]が八尋鰐或は、龍になつたと言ふ物語である。此まで重く見られた産の為とする考へは、寧、後につき添うた説明である。
おなじ事はいざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]・いざなみの命[#「いざなみの命」に傍線]の離婚の物語にも、言ふ事が出来る。見るなと言はれたのに、見られると、八つ雷《イカヅチ》(雷は古代の考へ方によれば蛇である)が死骸に群つて居た。其を見て遁げ出した夫を執《シフ》ねく追跡したと言ふのも、ひなが媛[#「ひなが媛」に傍線]の話と、ちつとも違うてゐないではないか。死骸を見露して恥を与へたとて、怒つたとするのは、やはり後の説明なのであつた。
此等の話に爬虫が絡つてゐるのは、訣のある事である。異族の村の生活を規定する信仰の当体を、庶物の上に考へたからである。更に其上に、長虫を厭ふ心持ちの影を落したのは、異族の生活を苦々しく眺めがちの心持ちから来たものなのではあるまいか。
後々には、一つ先祖から出た血つゞきの物と見、又祖先の姿を其物にうつして考へ、更に神とまでも向上させる様になつたとも思はれるが、もつとうぶな[#「うぶな」に傍点]形の信仰が、上の物語の陰に見えるではないか。
たとひ、我が古代にとうてむ[#「とうてむ」に傍線]を持つた村々が、此国土の上になかつたとしても、其更に以前の故土の生活に於て、さうした生活原理を持たなかつたとは言へない様である。神の存在を香炉に飜訳して示す様になつたよりも以前の、こんじん[#「こんじん」に傍線]の形を考へて見れば、其が、儒艮であり、豚・海亀・鮪・犬であつたかも知れないのである。さなくとも、異族の村から妻の将来した信仰物が、女でなくては事へられぬ客神(まらうどがみ)として、今も残つて居るだけの説明はつく。
とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]と、外婚とを聯絡させて考へてゐるふれいざあ[#「ふれいざあ」に傍線]教授は、奪掠せられて異族の村に来た女が、きまつた数だけの子どもを生めば、村から逐ひ出される例を挙げて居る。「外婚」のなごりとして、「つま別れ」の哀話が限りなく発展して来た訣は此点から考へられさうである。
とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]の対象は、動物に限らない。植物も、鉱物も、空気も、風も、光線も、それ/″\の村の生活を規定するものとして、信仰生活の第一歩を踏み出させたものである。私は此まで祖先としての考へと、とうてむ[#「とうてむ」に傍線]とを別々にして来た。我が国にもある植物や、鉱物が、人間と結婚して子を生んだと言ふ様な話を、即座にとうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]の痕跡と見て了ひたくなかつた為である。
このはなさくや[#「このはなさくや」に傍線]媛や、いはなが[#「いはなが」に傍線]媛の名が、単に名たるに止らないで、生命のまじなひ[#「まじなひ」に傍線]に関聯してゐたのを見ると、木の花や、巌石をとうてむ[#「とうてむ」に傍線]として見た俤が、見えぬでもない。寿詞《ヨゴト》・祝詞に、植物や、鉱物によつて、長寿を予祝する修辞法の発達して居るのも、単純な譬喩でなく、やはり大山祇神《オホヤマツミノカミ》がした様なとうてむ[#「とうてむ」に傍線]によるまじなひ[#「まじなひ」に傍線]から起つて居るのかも知れない。
神道の上で、太陽を祖先神と考へる様になつたのは、一つや二つの原因からではない。が、大和を征服した団体が、日光に向ふ(即、抗《ムカ》ふ)とか、背負ふとか言ふ事を、大問題にしたと言ふ伝へも、祖先神だからと言ふ処に中心が置かれては居るけれども、やはり此方面から説く方が、すらりと納得が行く様である。
とうてむ[#「とうてむ」に傍線]には、世襲せられるものばかりでなく、一代ぎりのものもある。おほさゞきの命[#「おほさゞきの命」に傍線]と木莵《ツク》[#(ノ)]宿禰の誕生の際の事実は、此側から説くべきものかも知れないし、ほのすせり[#「ほのすせり」に傍線]・ほてり[#「ほてり」に傍線]・ほをり[#「ほをり」に傍線]或は、ほむちわけ[#「ほむちわけ」に傍線]など言ふ名も、一つ範囲に入るものとも思はれる。此「葛の葉の話」では、とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]の存在を、どこ/″\迄もつきとめて居る訣にはいかない。唯上の話の元だが、異族の村から来た妻、子の為には母なる人だけが、異なる信仰対象を持つて居た事だけの説明の役に立てば、それでよい。
九
妻の秘密生活の期間は、即信仰当体と近い生活に、入つて居る時である。此を覗いた為に、破局が来たと言ふだけの事が、記憶として、残つた幾代の後の、一番自然な解釈は、ひなが[#「ひなが」に傍線]媛の様な話になるのである。異族の村の信仰の当体なる動物を、信仰抜きに、直様其人の、其際に現してゐた姿とする。
書物の記載を信じれば、わが国の婚姻史では、母の許へ父が通うて来たと言ふ例話よりは、外族の村から、母が奪はれて来たと見える場合の方が、よほど古みを帯びて居る。母方で育つて母系に織りこまれるよりも、父方で成人する父系組織の方が、前にあつた様である。勿論、違うた村々に、違うた制度が、並び存した事も考へられるのであるが、大体は、世間の人の想像と逆さまに、父系組織の方が古い様である。
母系も古くからあつたに違ひない。併し其記憶は、可なり後まで残つて居た。「親」の意義が分化して、おや[#「おや」に傍線]・みおや[#「みおや」に傍線]と言ふ大昔の語が、母の意に使はれた事は、鎌倉時代までにも亘つて居る。さう言ふ語の行はれて居る間、其組織も行はれて居たと言ふのではない。更に新しい父系制度が行はれて居ても、語だけは残つて母の家で成人した子を、父が迎へとる事が、久しく続いた事を示して居たと言ふのである。
想像に亘る事であるが、我々の考へられる領分での、一等古い形は、子を生んだ母が何かの事情で、本の国に戻つてしまふと言ふ風のものである。前に出た三つのことゞわたし[#「ことゞわたし」に傍線](絶縁宣誓)の話は、さきに言うた三輪山の話などよりは、古い姿を見せてゐる。異族の村から来た妻の話は、いまだに地方の伝説に痕跡を止めて居る。大抵は逆に、嫁入つた国の姿に変る事になつた。池の主にとられた娘が戻つて来た。さうして、池に帰る姿を見れば、大蛇になつて水に飛び入つたなどゝ言ふ類である。
話をはしよる為に申す。私は、大正九年の春の国学院雑誌に「妣《ハヽ》が国へ・常世《トコヨ》へ」と言ふ小論文を書いた。其考へ方は、今からは恥しい程合理式な態度であつた。其翌年かに、鳥居龍蔵博士が「東亜の光」に出された「妣の国」と言ふ論文と、併せて読んで頂く事をお願ひして置いて、前の論文の間違うたところだけを、訂正の積りで書く。
「妣《ハヽ》が国」と言ふ語はすさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]といなひの命[#「いなひの命」に傍線]との身の上に絡んで、伝はつて居る。すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]は亡母(即、妣)いざなみの命[#「いざなみの命」に傍線]の居られる根《ネ》の国に憧れて、妣が国に行きたいと泣いたとある。いなひの命[#「いなひの命」に傍線]は熊野の海で難船に遭うて、妣が国へ行くと言うて、海に這入つた。此母は、海祇《ワタツミ》の娘たまより媛[#「たまより媛」に傍線]をさすのは、勿論である。うつかり見れば、其時々の偶発語とも見えよう。併し此は、われ/\の祖先に共通であつた歴史的の哀愁が、語部《カタリベ》の口拍子に乗つて、時久しく又、度々くり返されねばならぬ事情があつたのであらう。
此常套語を、合理式に又、無反省に用ゐて来たのを、記・紀は、其儘書き留めたのである。以前の考へでは、故土を離れて、移住に移住を重ねて行つた人々の団体では、母系組織の下に人となつた生れの国を、憶ひ出し/\した其悲しみを、此語に籠めて表したのが、いつか内容を換へる事になつたのだと説いたと思ふ。併しかうした考へは、当時その方に向いて居た世間の母系論にかぶれて、知らず/\に出て来たのであつたらう。やはり、我々の歴史以前の祖先は、物心つくかつかぬかの時分に、母に別れねばならぬ訣があつたのである。
母を表す筈のおも[#「おも」に傍線]なる語が、多くは乳母の意に使はれる理由も、こゝに在るのかと思ふ。とにもかくにも、生みの子を捐てゝ帰つた母を慕ふ心が「妣の国」と言ふ陰影深い語となつて現れたのであらう。
脇道に逸れた話が、葛の葉の子に別れて還る話の組み立ての説明に役だつたのはよかつた。子どもと村の秘密行事との関係、神託と子どもとの交渉は、前に既に書いたが、其上に、子を生む事が成婚の理由でもあり、同時に離縁の原因にもなつた古代の母たちは、其上に夫と違うた秘密な生活様式の為にも、呪はれて居たのであつた。
一〇
日本の神々と、動植物との交渉を考へると、動物が神である事の外に、祖先神となつて居る例も、ちら/\ある。其上神の使はしめ[#「神の使はしめ」に傍線]又は、使ひ姫[#「使ひ姫」に傍線]と謂はれる者が、沢山ある。人によつては、此をとうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]のなごりと考へる向きもある様だが、此ばかりでは、とうてむ[#「とうてむ」に傍線]の意味に叶ふか叶はぬかゞ、先決問題になる。
動物ばかりか、神々によつて、嗜好の植物もある。其うらには又、ある神の氏子に限つて、利用する事の禁じられて居たり、喰ふ事を憚らなければならぬ種類が、動物・植物に通じて、多くあることは、柳田先生其他が、論ぜられもし、報告せられもした。此方面には、殊に植物の領分が広い様である。大抵その原因として、其動植物の障碍の為に、神が失策せられたからの、憎みを頒つのだと伝へて居る。此神の失策とする説明は、恐らく或神話の結びつきがあつて、元の種をくるみ込んで了うたものだと思ふ。元の種なる伝承が忘られる世になつて、民間哲学が、其神話の方へ、原因をひきつけて行つたのである。其神話といふのは、全能なるべき神の為事が、あまのじやく[#「あまのじやく」に傍線]の悪精霊の為に妨げられた為に、不完全な現状があるのだと言ふ説明である。此は逆に、悪精霊が失敗して、神が勝つと言ふ風にもなつて居る。
右の神の企てをしこじらしたり、完成させなかつたりしたと言ふ神話の精霊の位置に、神と感情関係の深い動植物を置いて、説明をしたものだ、と言ふ見当を立てゝ見れば訣る。
神の常用物なり、嗜好品なりを、神の氏人が私するのは、憚り忌むべきことであつた。其が忘れられて、ともかく神に関聯しての憚りだからとの見方から、すつかりうらはらに考へる様になつた。白い鶏は神のおあがり物だから、其を私せぬ習はしが、本を忘れ、末だけになつて、宵鳴きをして、神を驚した事があつたので、神がお憎みになつて居るのだと言ふ。或は神が其木に憑《ヨ》ることを好まれた木や、神の御贄《ミニヘ》に常住供へた植物を遠慮する心持ちが、反対に神が其植物に躓かれたからの憎みを、氏人としては永劫に表現する責任があるのだ、と説明したりしてゐる。神の為の供物が、さうした誤解から、御贄《ミニヘ》の数に入らなくなるのも、自然で
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