の狐も、上古と近世には、やさしい感じを持つて語られて居るが、平安朝から後久しく、恐しくて執念深いものとなつたのは、托枳尼《ダキニ》の修法の対象として使はれたせゐであらうと想像してゐる。ところで、日本の動物中、さうした点で狐と勢力争ひの出来るのは、まづ蛇であらう。蛇との交渉が古い処に多く、狐との関係は、わりあひ新しい時代に殖えて来た様にさへ思はれるのである。
蛇との恋で名高い話は、大和の三輪の神に絡んで居るもので、大体二様になつて居る。晩に来て姿を見せない。どこの男だか知れないから、男の着物へ、娘が針をさして置いたら、窓から出て、三輪山に這入つて居たと言ふのと、今一つ百襲《モヽソ》媛と言つた方が、姿を見せてくれと男に言ふと、明日お前の櫛笥の中に這入つて居ようと言うた。箱を開けて見ると、蛇が居たので驚きの声を立てた。すると、おれに恥を見せたと言つて去つたと言ふのとである。百襲媛は事実皇族出の巫女であつた。其に神が通うたのである。前の方には蛇の事はないが、三輪の神を蛇体と考へて居た事は事実である。
此系統の話で、九州の緒方氏の伝説は、其家が元|大神田《オガタ》で、三輪(大神々社)社に関係あつた家筋である点から、注意すべきものである。緒方氏の先祖は蛇である。自分の処へ通ふ男の家を知る為に、糸をとほした針を領《エリクビ》にさし込んで、翌朝糸を伝うて行くと、姥个嶽の洞穴で止つて居た。中で非常に呻く声がして、針が首にさゝつて、自分はもう死ぬ、併し、子はお前に宿つて居るから、其を育てゝくれと言うた。一度姿を見せてくだされと言ふと、中から大きな蛇が首をつき出した。其孫にあたる人を「あかゞり大太《ダイタ》」と言つて、鱗の様に皮膚がきれて居たと言ふ。其からして、緒方氏の家長になる人には、皆背中に鱗が生えて居るとある。日本中に、鱗や八重歯を一族の特徴とする家が、かなりある様である。此が即《すなはち》前に言ひ置いた浦野一族の乳の特徴と一つのものである。
三輪明神は、古い処では、此様に男と考へて居る様であるのに、中世から女と考へて来る事になつた。謡曲の三輪などにも其は見えて居るが、もつと古くから、さう信じられて居たものらしく、尠くとも平安朝の末には、明らかに見えてゐる。俊頼の「無名抄」には、三輪明神は、住吉明神の妻であつたが、住吉明神に棄てられたので、歌を詠んで住吉明神に贈られた。その歌は
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恋ひしくば、とぶらひ来ませ。ちはやぶる三輪の山もと。杉立てるかど
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と言ふのだとある。此は、古今集の
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わが庵は三輪の山もと。恋ひしくば、とぶらひ来ませ。杉立てるかど
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の拗れた形に過ぎない。
ところが、顕昭法橋の「顕註密勘」には、同じ歌が、こんな話の中に伝つて居る。伊勢国奄芸郡に一人の猟師が居た。ある夜、山で鹿を待つて居た処、鹿は来ないで、闇の中にぎろ/″\光る大きな眼の物が来た。猟師が矢を射ると、逃げて了つた。其跡をつけて行くと、古塚の穴に這入つて居る様である。穴の外に、神女が一人居て言ふには、あれは化け物である。自分はあの化け物に捕れて、大和からこゝへ来たものだ。あれを焼き殺してくれとある。で、柴を穴にうち込んで、化け物を焼き殺して了うた。其跡が野中塚と言うて居る。神女は猟師と夫婦になつて、子さへ儲けた。其後暫らくして、姿を隠して了うた。猟師が悲しんで居る中、母を慕うて居た子供も、何処かへ影を隠した。神女の残して行つた「三輪の山もと杉たてるかど」によつて、大和へ尋ねて行つて、三輪の社を拝んでゐると、女房と子供の姿が、神殿から現れた。其後猟師も神になつた。此が由緒で、三輪の祭りには、奄芸の人がわざ/″\参加に出かけるのだ、と言ふ風の伝へになつて居る。神女とあるのは、女神の意味でなく、巫女を言ふのだらう。
此話などは今一転すると羽衣伝説になつて来る。内地の羽衣伝説では、天女の子を問題にせぬ様だが、沖縄になると、子供が重要な役まはりになつて居る。宮古島の漲水御嶽《ハリミヅオタケ》と言ふ拝処の由来には、女に通うた蛇が、女児三人孕ませて後、自分の種姓を明して去つた。約束通り三年目に、漲水へ連れて行くと、父の大蛇が姿を見せたので、母は子を捐てゝ逃げ出したのに、子どもは何とも思はないで、一人々々首と腰と尾に乗つて、蛇と共に御嶽の中に飛び入つたとある。三輪の神女と子との神になつた話に似て居るばかりか、糸をかけて男の家をつきとめる型まで含んでゐるのである。
銘苅子《メカルシイ》と言ふ人は、水浴中の天女の「飛《ト》び衣《ギヌ》」を匿して、連れ戻つて宿の妻として、子を二人までなさせた。ある日母なる天女が聞いてゐると、弟を守りすかして居る姉娘の子守り唄に「泣くな/\。泣かなかつたら、おつかさんの飛び衣をやらう。飛び衣は高倉の下に匿してある」と無心に謡ふのを聞いて、飛び衣の在りかを悟つて、其を着て上天したと言ふ。
子どもの無心でした事が、親たちを破局に導く点は、此迄挙げた狐の話の全体と通じて居る。太古の団体生活の秘密は、子供に対しては、とりわけ厳重に守らねばならなかつた。成年式を経ない者に、団体生活の第一義を知らせると言ふ事は、漏洩の虞れがあり、又屡さうした苦い経験を積まされてもゐたからである。今一つは、無心な子供に、神意を託宣せられると言ふ信仰である。此二つの結びつきが、此類の伝説の基礎にはあつたらしい。

     七

父と母との間に横たはつてゐる秘密を発く役を、子どもが勤める事に就て、もつと臆測がゝつた考へを、臆面なく述べさせて頂く。よその部落と部落、尠くとも非常に違つた生活条件を持つて居るものと、てん/″\に考へ相うて居る部落どうしの間に、結婚の行はれた時には、事実子どもを無心の間諜と見ねばならぬ場合も、起りがちだつた事と思はれる。
併し一方、夫と妻とが別々に持つ秘密が、子どもの為に調和せられてゆく事もある。此が、社会意識の拡がつて行く、一つの道でもあつた。子どもが発くまでもなく、かうした結婚の、破局に陥らねばならぬ原因は、夫々の話に潜む旧生活の印象が、其を見せてゐる。其は、其母が異族の村から持つて来た、秘密の生活法の上にあつたのである。
沖縄の話の序に、今一つ言ふと、先島(八重山・宮古諸島)辺ではよく、あの一族では何の魚類、此|門中《モンチユウ》では某の獣類と言ふ風に、ある家筋に限つて、喰ふ事の禁ぜられて居る動物が、大抵どの家々にも、一つ宛はある様だ。譬へば、鱶・海亀・鮪・儒艮《ザン》・犬・永良部《エラブ》鰻の様な物に対して、厳重な禁制が保たれて居るのである。さうして其理由を、祖先が其動物に助けられたから、又は祖先其物だから、と言うたりして居る。
祖先を動物とする中著しいのは、八重山人は蝙蝠の子孫、宮古人は黒犬の後裔と称する事である。二つの島人どうし互に、さう言つて悪口をつきあうてゐる。だから此島々では、家々で大事の動物のある上に、島としての疎かならぬ生き物がある訣なのである。
部落を拡げて考へれば島となるが、小さくして見れば、家々であり、一族である。つまり、一族の生活を規定し、或信頼を担うてゐる動物のある事が考へられる。津堅《ツケン》の島(中頭郡)では、島の六月の祭りを「うふあなの拝《ウガン》」と言うて、其頃|恰《あたかも》寄り来る儒艮《ザン》を屠つて、御嶽々々に供へる。其あまりの肉や煮汁は、島の男女がわけ前をうけて喰ふ。島以外の人は、島の中に、儒艮御嶽《ザンオタケ》なる神山があつて、此人魚を祀つてゐると言ふが、島人に聞けばきつと、苦い顔で否定する。さうして昔は、人魚でなく、海亀を使うたと言ふ。併し今こそ儒艮《ザン》が寄らなくなつたので、鱶を代りに用ゐる事にして居るのは事実だが、海亀は現に沢山居るのだから、其来なくなつた代りに使うたものとはうけとれぬ。何にしても、特殊な感情を、此海獣に持つてゐる事だけは明らかである。
又、此島と呼べば聞えさうな辺にある一つの土地では、血縁の深さ浅さを表す語《ことば》に、まじゝゑゝか[#「まじゝゑゝか」に傍線]・ぶつ/″\ゑゝか[#「ぶつ/″\ゑゝか」に傍線]と言ふのがある。ゑゝか[#「ゑゝか」に傍線]は親類、まじゝ[#「まじゝ」に傍線]は赤身、ぶつ/″\[#「ぶつ/″\」に傍線]は白いところ即脂身である。死人の赤身を喰べるのが近い親類で、遠縁の者は、白身を喰ふからだと説明してゐる。
此二つの話に現れた、死人の命を肉親のからだに生かして置かうとする考へと、今一つ、神及び村の人々が共に犠牲を喰ふと言ふ伝承とを結び付けて見て、気のつく事はかうである。
動物祖先を言はぬ津堅の島にも、曾ては儒艮《ザン》に特殊な親しみを持つて居たらしい。其が段々に、一つ先祖から岐れ出て、海獣で先祖の儘の姿で居るといつた骨肉感を抱く様になり、祖先神の祭りに右の人魚を犠牲にして、神と村人との相嘗《アヒナメ》に供へたものであらう。
さう言へば、黒犬の子孫だと悪口せられる宮古島にも、八重山人などに言はせると、犬の御嶽があつて、祖先神として敬うてゐるなどゝ言ふ噂もする。
かうした事実や、考へ方が、当の島々には行はれて居ないかも知れない。だが尠くとも、さうした噂をする、他の島々・地方(ぢかた)の人々の見方には、その由来するところの根が、却つて其人々の心にもあるのである。めい/\の村の古代生活に、引き当てゝ考へてゐるに過ぎないのだ。これを直様、とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]のなごりと見なくてもよい。が、話の序に少し、此方面にも、探りだけは入れて置かう。

     八

一体、沖縄の島々は、日本民族の核心になつた部分の、移動の道すぢに遺つた落ちこぼれと見るのが、一番ほんとうの考へらしい。内地にあつた古代生活の、現に琉球諸島に保存せられて居るものは、非常に多い。さすれば、此南島にある民間伝承の影が、一度は、我々の祖先の生活の上にも、翳《サ》してゐた事も考へられなくはない。
琉球女は、今も長旅や嫁入りには、香炉を持つて行く。其香炉は神を表して居るものである。大抵は、元の家の仏壇から神棚へ祀り替へられる程、年代を経た先祖の神様と考へられて居る様だ。併し此女の持ちあるく香炉は、大分意味の違うた物の様である。
女の香炉は、母から伝はる。根神《ネカミ》と謂はれて居る祖先神の香炉は、根所《ネドコロ》なる本家にあるばかりで、勝手に数を殖して、持ちあるくことは許されて居ない。此香炉は、女だけの祀る神なのである。男とさへ言へば、子すら、夫すら、拝む事も、お撤《サガ》りを戴く事も禁ぜられてゐる。沖縄本島では、段々意義が忘れられて、仏壇の位牌を持ち出したもの位に考へる人もあるが、其でも尚、此香炉に対する信仰の形は近代化しきつても居ない。八重山の石垣島では、とりわけ此考へが著しく残つて居る。此島では、女の香炉をこんじん[#「こんじん」に傍線](古風には、かんじん[#「かんじん」に傍線]と発音する)と言ふ。祖先かと言へば、祖先でもなく、村の神かと思へば、村の神でもない。唯知れて居るのは、母から娘へ、順ぐりに譲つて行く神だと言ふだけである。恐らく、罔極の世の母から、分け伝へて来た神かと思はれる。亭主にも、息子にも拝ませないで、女ばかりの事《つか》へる神が、沖縄の家庭にはある事になるのである。琉球の神人《カミビト》は悉く女性ではあるが、拝む事は、男も勿論するのである。にも係らず、男の与らぬ神の存在は、どう言ふ事を示してゐるのであらう。
村々の生活を規定する原理なる庶物は、てん/″\に違うて居た。尠くともお互に異なる原動力の下に在るものと考へて居た。かう言ふ時代の村と村との間に、族外結婚が行はれるとすれば、男の村へ連れて来られた女は、かはつた生活様式を、男の家庭へ持ちこむ事になる。ほかの点では妥協しても、信仰がゝつた側の生活は、容易に調子をあはせる訣にはいかなかつたであらう。其に、神とも精霊とも、名をつける事は出来ないでも、根本調子となつてゐる信仰が、一つ家に並び行はれて居る場合、妻の信仰生活は
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