行せられた時から、さのみ久しい前ではなからう。新しい台本の出来る前に、古い台本を使うた時期が、かなり長かつたのであらう。簡単な古い説経に、潤色を施して出した新しい正本では、古くから世間に耳馴れた古説経持ち越しの知識は、其儘にして居た事と思はれる。だから、今ある説経の中には、聴衆の知識を予期してゐる所から出た省略やら、最初の作物なら書き落すはずのない失念などが、散らばつて見える。角太夫の「信太妻」にさへ、そんな処がある。
「信太妻」は、どの社寺の由来・本地・霊験を語るのか明らかでない。強ひて言へば、信太[#(ノ)]森の聖《ヒジリ》神社か、その末社らしい葛の葉社の由来から生れて、狐が畜生を解脱して、神に転生する事を説いた本地物だつたのではなからうか。此を節づけて語りはじめたのは、誰であらう。「安倍野童子」村に就ての想像が、幸い外れて居なかつたら、此村の童子であつて、漂泊布教して歩いた者の口に生れた語り物が、説経に採り入れられて、「安倍野童子」の物語として伝誦され、遂には主要人物の名となつて了ふ様になつたものと、考へる事が出来る。
前に言うた高野の「萱堂《カヤダウ》の聖《ヒジリ》」が語り出し
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