は、古くからある。今昔物語にあるのなどは著しい例で、道に立つて居た人妻を見て、其姿になつて、亭主をだまさうとした狐の話と、狐が乳母に化けて、本の乳母と子供を奪ひ合ふのを、雅通中将が判断に迷うた話、殊に瓜二つとも言ふべき話が、並んで出て居る。其系統の伝説から段々筋を引いて来て、近松の「双生《フタゴ》隅田川」になつたのが、劇としては「隅田川続俤」まで遥かに続いて居る。二人のお組の片方は、野分姫の霊と法界坊の霊とが、絡みあつて居る。出雲は趣向だけを敷き写しにとつて「大内鑑」では、二とこまで、役に立てゝ居る。安倍野村の段ばかりでなく、信太の森でも悪右衛門の駕籠を舁く奴が三人出て、名高い「われがおれか。おれがわれか」と言ふ問答になつて居る。
二人妻ではないが、似た話がある。江戸の極浅い頃に出来たのだらうが、板行せられたのは、出雲あたりの死んだ後の物なる、鈴木正三の「因果物語」といふものゝ中に、出羽の最上の商人、京へ出稼ぎして、京女を妻にしたが、用事で国元へ戻ると京の妻が後を追うて来た。商人は最上の妻を逐ひ出して、京の妻を家に入れて子を産ませた。其後再、男が上京して、定旅籠に来ると、亭主の言ふには、お気の毒な事には、あなたに連れ添うた例の女は、煩うて死にましたと言ふ。いやそんな筈があるものか。此々の訣で、最上へ来て子まで産んで居ると言つたので、亭主が女の父親に話すと、父親が娘に会ひに、最上へ下つた。最上の家で、父親に会はせようとしても、女房は出て来ない。女房の部屋に這入つて見ると、父親が京で立てゝ置いた卒塔婆が、そこに立つて居た。卒塔婆の産んだ子供と言ふので、霊童と呼んで居たよしが、見えて居る。此本の系統が、英草紙になり、雨月物語になりしたのだから、上田秋成が「浅茅が宿(雨月物語の内)」の暗示をこゝに獲たのは疑ひないであらうが、似て居るのは卒塔婆のくだりで、外の部分は、今昔物語にある京の妻を棄てゝ地方官について下つた生侍《ナマザムラヒ》が、五年目に上京して、妻の死体と寝た話のまる写しなのである。最上へ訪ねて行つた父親は、信太荘司によく似て居るではないか。
ちよつと似て居れば、此本から此本の話が出た、此伝説は、何の本の話が元だ、と簡単に結着をつける事が喜ばれる。併しさうした結論は、きめたがる人がきめただけの論で、実際の系統は、さう平明にわかるものではない。妻の父が来て、正体が露れ
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