ミクマ》とも鬼隈とも伝へて居る。漢字としての意義は近くとも、国訓の上には、鬼をかみ[#「かみ」に傍線]とした例はない。もの[#「もの」に傍線]とかおに[#「おに」に傍線]とかにきまつてゐる。して見れば、此は二様にお名を言うた、と見る外はない。此名は、地名から出たものなるは確かである。其地は、畏るべきところとして、半固有名詞風におにくま[#「おにくま」に傍線]ともかみくま[#「かみくま」に傍線]とも言うて居たのであらう。二つの語の境界の、はつきりしなかつた時代もあつた事を示してゐるのである。強ひてくぎりをつければ、おに[#「おに」に傍線]の方は、祀られて居ない精霊らしく思はれる点が多い。
八瀬の村は、比叡の地主とも見るべき神の子孫と考へたもので、其祖先を鬼としたものであらう。この村は延暦寺に対して、寺奴とも言ふべき関係を続けて居た。大寺の奴隷の部落を、童子村と言ふ。寺役に使はれる場合、村人を童子と言ふからである。八幡の神宮寺などにも、童子村の大きいのがあつた。開山の法力に屈服して、駆使せられたおに[#「おに」に傍線]の子孫だと言はぬ童子村にも、高僧の手で使はしめ[#「使はしめ」に傍線]の如くせられた地主神の後と言ふ考へはあつたらうと思はれる。童子が仏法の為に、力役に任ずる奴隷の意味に使はれたところから、殿上人の法会に立ちはたらく時の名を「堂童子《ダウドウジ》」と言うた。童子と言ふのは、寺奴の頭のかつかうから出た称へである。ばらけ髪をわらは[#「わらは」に傍線]と言ひ、髪をはらゝにしてゐる年頃の子どもを、髪の形からわらは[#「わらは」に傍線]と言うたに準じて考へると、寺奴の髪をあげずにばらかして、所謂「大童」と言つた髪なりでゐたからである。柳田国男先生の考へられた「禿《カブロ》」とも「毛房主《ケバウズ》」とも言ふ、得度せぬ半僧生活を営んだ者も、元は寺奴から出たのである。
葛の葉の生んだ子を「童子」「童子丸」と言うたのも、こゝに根拠があり相に見える。
鬼は、仏家の側ばかりで言ふのではなく、社々にもある事である。村里近い外山などに住み残つて居た山人を、我々の祖先は祭りに参加させた。さうして其をも、おに[#「おに」に傍線]と言うたらしい。生蛮人を畏き神と称した例はあるから、神とおに[#「おに」に傍線]との区劃がはつきりすれば、かう言ふ荒ぶる神は、やはり鬼の部に這入つて来る事に
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