す様になつたよりも以前の、こんじん[#「こんじん」に傍線]の形を考へて見れば、其が、儒艮であり、豚・海亀・鮪・犬であつたかも知れないのである。さなくとも、異族の村から妻の将来した信仰物が、女でなくては事へられぬ客神(まらうどがみ)として、今も残つて居るだけの説明はつく。
とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]と、外婚とを聯絡させて考へてゐるふれいざあ[#「ふれいざあ」に傍線]教授は、奪掠せられて異族の村に来た女が、きまつた数だけの子どもを生めば、村から逐ひ出される例を挙げて居る。「外婚」のなごりとして、「つま別れ」の哀話が限りなく発展して来た訣は此点から考へられさうである。
とうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]の対象は、動物に限らない。植物も、鉱物も、空気も、風も、光線も、それ/″\の村の生活を規定するものとして、信仰生活の第一歩を踏み出させたものである。私は此まで祖先としての考へと、とうてむ[#「とうてむ」に傍線]とを別々にして来た。我が国にもある植物や、鉱物が、人間と結婚して子を生んだと言ふ様な話を、即座にとうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]の痕跡と見て了ひたくなかつた為である。
このはなさくや[#「このはなさくや」に傍線]媛や、いはなが[#「いはなが」に傍線]媛の名が、単に名たるに止らないで、生命のまじなひ[#「まじなひ」に傍線]に関聯してゐたのを見ると、木の花や、巌石をとうてむ[#「とうてむ」に傍線]として見た俤が、見えぬでもない。寿詞《ヨゴト》・祝詞に、植物や、鉱物によつて、長寿を予祝する修辞法の発達して居るのも、単純な譬喩でなく、やはり大山祇神《オホヤマツミノカミ》がした様なとうてむ[#「とうてむ」に傍線]によるまじなひ[#「まじなひ」に傍線]から起つて居るのかも知れない。
神道の上で、太陽を祖先神と考へる様になつたのは、一つや二つの原因からではない。が、大和を征服した団体が、日光に向ふ(即、抗《ムカ》ふ)とか、背負ふとか言ふ事を、大問題にしたと言ふ伝へも、祖先神だからと言ふ処に中心が置かれては居るけれども、やはり此方面から説く方が、すらりと納得が行く様である。
とうてむ[#「とうてむ」に傍線]には、世襲せられるものばかりでなく、一代ぎりのものもある。おほさゞきの命[#「おほさゞきの命」に傍線]と木莵《ツク》[#(ノ)]宿禰の誕生の際の事実は、
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