雪まつりの面
折口信夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)新《ニヒ》野
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其頃|天井《アマ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ますく[#「ますく」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ひそ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一昨々年の初春には、苦しい目を見た。信州下伊那の奥、新《ニヒ》野の伊豆権現の雪祭りに、早川さんと二人で、採訪旅行をしたことであつた。さうして、一週間といふもの完全に、小忌人《ヲミビト》の様な物忌みをして、村の神事役の人と共に一つになつて、祭儀の観察をさせて貰うてゐた。其揚句が、ちよつとの行き違ひから、村の大勢の人たちに反感を催されて、私の頭に、消防組の鳶口の一撃位は、来さうなけはひを感じた。あんな残念な事はなかつた。けれども、毎年新暦の正月十三日になると、今一度、信遠三の境山に囲まれた、あの山村の祭りに、あひたくてならない気がする。其中でも、殊に印象深く残つてゐるのは、正祭の前日の面しらべの行事であつた。大小二十に余るお面を、棚に並べておいて、其を上手《ワデ》と称する当役その他の人々が、てんでに新しく、胡粉や、丹で彩色する事であつた。村の人は、此について、合理的な何の説明もせなかつたけれど、かうする事が、年々新しく、お面を作るのとおなじ効果のあるもの、と言ふ信仰を印象してゐる事が考へられた。だがもつと、古く或は、日本的といふことを超越して思ふと、死者のますく[#「ますく」に傍点]に、毎年新しい生命を与へる為の技術のなごりが、仄かに残つてゐる様な気がして、蝋燭の瞬きが、何とも言へない古代の古代を、空想させた事であつた。
彩色せぬ面もある。其は三つの鬼の面である。十年ほど前の夏、私が此村を訪うて、種紙屋と間違へられた事があつた。其後、この伊豆権現が焼亡した相である。其頃|天井《アマ》にあげてあつたお面祭器類も、持ち出す事が出来ないで了うた。其後お祭りの為に、お面を神事役の年よりが、皆より集つて彫刻したのである。鬼などは、精巧過ぎる程に出来てゐる。此が素人の手になつたとは思へぬ程である。でも、どの面と、どの面とは、誰の作と言ふ事が訣つてゐる。而も、当事者以外には、わかつても知らぬ顔で
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