苦しんだ社会が生んだ信仰であらう。
現世でめでたしが浄瑠璃、来世を信頼するのが説経である。次に自分の歴史を語る懺悔物語がある。
なほ又、病者の自叙は浄瑠璃、そして恋愛・悪行等は祭文と、凡、区別せられる。
唱門師は、此島では優秀な地位を占めたから戸数も非常に多かつた。
山伏も茲に関聯して説いて見よう。彦山の山伏の勢力範囲なる故、後世は専ら其山伏の横暴に苦しんで、此を殺して埋めたと言ふ山伏塚が多いが、中には、山伏の築いた壇の類もあるであらう。唯、さうした修験道の行儀喧しい時代以前に、呪術に達したから、山伏の形を以て、自由に土地を求めて歩いた時代を考へて見ると、無頼の徒・山伏・傭兵・らつぱ[#「らつぱ」に傍線]・かぶき者[#「かぶき者」に傍線]・芸能・唱門師の有髪の者・千秋万歳、――かうした自在な形で、移り歩いたらしい。名護屋山三郎の様なのは、かぶき者[#「かぶき者」に傍線]・無頼漢で、芸能のあつた――其為、幸若舞の詞も、お国に伝へたらしい――傭兵風の流れ者でもあつたのだ。かうした行者側の勝つた唱門師一派或は、地方の神主・寺主の豪族が、新興の諸侯等に負けて、脱走した者なども往来した事は考へられ、又、かうした方面から、神職に転じた者もあつて多くは館の主となつたのが、此人々であらう。
盲僧は寺の乏しかつた島の村々に、一種の説明を設ける様な形で、此を配置し、本土の檀那寺に似た権利を持たせた。恐らく、江戸時代の耶蘇教禁制の結果、かうした変態な施設をしたのであらう。其為、盲目は、邪宗門徒探索の為遣されたのだ、など言ふ様になつた。其だけ、耶蘇教に替るものとして、此を与へたのだから、をかしい。地神経を弾くのが中心行事で、其儀式次第を考へると、唱門師の神道より、稍、仏教臭味の多い、山伏の行法にも近づいてゐるものであつた。
其儀式次第は、荒神祓へとも言うて、正式にすれば、可なり時間がかゝり相だ。荒神の真言から始めて、経を色々と読む。其間に島求め・延喜さん・琵琶の本地などゝ言ふ厳粛な物語がある。延喜さんと言ふのは、逆髪と蝉丸の事らしい。島求めは島を求めて、壱岐に落ちつく由来である。
荒神の真言といふのは、一種の祭文で、陰陽師の系統の、滑稽を交へた禁止の箇条を列ねる。其は、家又は田畠の害物に命令するもので、人に対しても、為てはならぬ事を挙げてゐる。田楽の詞章の戒め詞や、太秦牛祭りの祭文などゝよく似たものである。
荒神祓へがすむと、くづれ[#「くづれ」に傍線]を語る事がある。此が「島の人生」をどれだけ潤し、世間の広さ、年月の久しさを考へさせたか訣らない。
盲僧が百合若伝説を語ると、変が起る、と伝へてゐる。畢竟、重要視しての事かと思はれるが、陰陽師・巫女《イチ》側のもの故、忌んでの事なのかも知れない。くづれ[#「くづれ」に傍線]は、正式な平家物語物でもない様で、盛衰記と称へて、長門合戦を語つてゐる。其外は、大抵説経である。
初午の日には、招かれて「稲荷|念《ネン》じ」をする。其時は、琵琶で吼※[#「口+穢のつくり」、第3水準1−15−21]《コンクワイ》を弾く。此は葛の葉説教の中の文句であるが、説経を読む感じで唱へる様である。が、此は説経から出て、名高い芝居唄になつて、地唄の本にも出て、今に上方端唄として謡はれる。此説経の文句が芝居唄に採られたのは、元禄期であつた。盲僧が琵琶を三味線と持ち替へて、小唄・端唄を謡ふ座頭となつたのは、よく訣る様に思ふ。経を弾くに止らないで、本地物語を語ることが、直に、説経を唱へることになる。くづれ[#「くづれ」に傍線]の説経の中の小唄から出た部分や、其が著しく俗化した卑陋な端唄がゝつたものをも謡ふ様になつて来る。大体、祭文系統の呪言は、卑猥・醜悪・非礼な文句が多いのである。だから、盲僧がくづれ[#「くづれ」に傍線]どころか、小唄・端唄などの、世間流行のものまでも、三味線にとり入れて来た径路は明らかである。
説経其他の物語をくづれ[#「くづれ」に傍線]と卑しむけれど、平家物語だつて一種の説経なのだ。経を諷誦する時の伴奏の楽器を、説経にもおし拡げて使うたまでゞある。だから、古くは、説経は発生的に琵琶を伴うてゐた。義経記なども説経の系統であつた。曾我物語は楽器が違ふ点からだけでも、浄瑠璃系統だ、と言へるのだ。琵琶弾きが三味線にかけて語つたのは、浄瑠璃であらう。説経は尚暫く、琵琶を守つてゐる間に、時代に残されて、遅れ馳せに三味線に合せたと見ればよい。此が室町末の状態であつたらう。
説経の演芸化しきらない間は、琵琶を棄てなかつたであらう。三味線を手にした説経太夫が座を組む様になつて、盲僧の弾く説経までが、卑しいものと感ぜられ出した。勿論、盲僧等の諷誦する説経も旧説経でなく、演芸化し、詞章を現代化したものになつて来たのである。
盲目は祓への後で、呪言及び叙事詩を唱へた。其は明らかに、ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]の演出順序を示してゐる。ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]は祓への呪言の後で、神聖な叙事詩を語つた。其後に、直会《ナホラヒ》の座で、新しい叙事詩か、古くして権威のなくなつた唯の歴史、古人の哀れでもあり、おもしろくもある伝承などを語り聞かせたであらう。其が、ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]から卜部へ、卜部から千秋万歳へ、千秋万歳は同時に唱門師曲舞でもあり、幸若舞でもあつた。新猿楽記を見ても、千秋万歳の酒《サカ》ほかひ[#「ほかひ」に傍線]と共に、琵琶法師も出てゐるから、夙く演芸化した盲僧もあつたのだ。盲僧が千秋万歳と同じ荒神祓へをして、屋敷を浄める様になる前に、ちやんと、演芸順序や其根本観念が融合してゐたのであつた。だから、琵琶弾きを傍証とし、唱門師を解剖して見ることは、比較研究法の上から、誤りではないのである。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
※「昭和二年九月頃草稿」の記載が底本題名下にあり。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字は本文中に小書き右寄せになっています。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2007年7月13日作成
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