、其が著しく俗化した卑陋な端唄がゝつたものをも謡ふ様になつて来る。大体、祭文系統の呪言は、卑猥・醜悪・非礼な文句が多いのである。だから、盲僧がくづれ[#「くづれ」に傍線]どころか、小唄・端唄などの、世間流行のものまでも、三味線にとり入れて来た径路は明らかである。
説経其他の物語をくづれ[#「くづれ」に傍線]と卑しむけれど、平家物語だつて一種の説経なのだ。経を諷誦する時の伴奏の楽器を、説経にもおし拡げて使うたまでゞある。だから、古くは、説経は発生的に琵琶を伴うてゐた。義経記なども説経の系統であつた。曾我物語は楽器が違ふ点からだけでも、浄瑠璃系統だ、と言へるのだ。琵琶弾きが三味線にかけて語つたのは、浄瑠璃であらう。説経は尚暫く、琵琶を守つてゐる間に、時代に残されて、遅れ馳せに三味線に合せたと見ればよい。此が室町末の状態であつたらう。
説経の演芸化しきらない間は、琵琶を棄てなかつたであらう。三味線を手にした説経太夫が座を組む様になつて、盲僧の弾く説経までが、卑しいものと感ぜられ出した。勿論、盲僧等の諷誦する説経も旧説経でなく、演芸化し、詞章を現代化したものになつて来たのである。
盲目は祓への
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