附随して行はれた様式で、村や家によつては、行はない処もあつた。其が、世間の風習にとり残された形になつた時代に、合理的な説明をくつゝける様になつて行つたのである。宮廷及び皇族では、正月松飾りをせられない。此亦、同じ理由であつた。
かうした、民譚や風習をこめた民間伝承に説明を加へて、一続きに置きなほして見ると、此国の生活が、可なり古い姿に踏み止つてゐる事が知れさうだ。
畏れ多い話だが、神功皇后の鎮懐石でも、筑前に在つたものは、巨大な二箇の石で、万葉集にまで大きさが記されてゐる。裳に挿ませられた、と言ふ書き方が婉曲すぎたので、胎中天皇御出生の途を塞がれた、と言ふ古い考へ方は忘れられた様で、腹圧への様に思はれてゐる。壱岐へ来て聞くと、其石を撤して棄てられたから、尊い王子は此時、出現ましましたのである。壱州の先覚者の中には、こんな伝へを材料にして、応神天皇壱岐誕生説を組み立てよう、とさへした人がある。九州子負[#(ノ)]原の石の二つあつた理由は、手間は要るが、説明は出来る。おほゝと[#「おほゝと」に傍線]・をほと[#「をほと」に傍線]など言ふ、かけまくも畏き御名の方がお出でになつたのも、かうした
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