、走つてゐる。
『違ひましたら、お免しまつせ。黒崎の神官さまの、東京にお出でる兄息子様でおいでまつせんか。』
瞬間、とんでもない人違ひに当惑させるやうな、だしぬけの問ひをかけながら、話仲間に割りこんで来たのは、四十そこ/\の湯帷子《ユカタ》がけの、分けた頭に手入れの届いてゐる点だけで、相当な身分を思はせる人だ。私は「いゝえ」と答へる下から、その私のとり違へられた当人が、一面識のある人なのに考へ当つた。私のなぢみ深い学生の兄さんで、くろうと好みの新聞の、而も、経済方面に務めてゐる人である。
かうしたことで、さびれた輪廓を、私の心に劃しつゝ居る此島から、あゝした専門の人も出たのかなあ。こんなこみ入つたことを、咄嗟の聯想に思ひ浮べた。私を初めての島渡りだと知つた、此中年の良い闖入者は、もう暗くなりかけた見上げる様な崖の入り込みを、あち見こち見して「此辺では、御座りませんでしたらうか」と老体の方に相談かける様な調子で言ひかけながら「ちよつと見えまっせんが、柱|本《モト》岩といふのが、どれ/\あなたのお持ちの地図の――と、こゝに載つてますね。此岩が、ちようどあのあたりになるのですが、一度見たきり
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