で、はつきり見てとつた様な気がする。此人に荷物を負はせて、案内させながら、道々、豊かな予期がこみあげて来るのを、圧へきることが出来なかつた。再、此島こそ、古い生活の俤が、私の採訪に来るのを、待ち迎へてゐてくれたのだ、といふ気がこみ上げて来た。其先ぶれが、あの少年となり、蘆辺浦の風景となり、東京戻りの壱州人とのとり違へとなり、此中婆さんとなつて、私の心に来てゐるのだ、と言ふ気がして、此港の町の狭い家並みに、見る物すべてに憑《タノモ》しい心が湧いた。
私の宿は、郷野浦の町を見おろす台地の鼻にあつた。座敷の縁に出て、洋服のづぼん吊りを外してゐる時に、町の上のくわつと明るくなつたのは、電気が点いたのである。けれども私の部屋には、電燈がなかつた。次の間にも、玄関にもない。竹の台らんぷが、間もなく持ち出された。私の前に坐つて、飯をよそうてくれる若い下女の顔。茲にも亦、柔らいだ古い輪廓と、無知であつて謙徳を示すまなざしとが備つてゐた。下女は、私の問ふに連れて、色々な話を聞かせた。
下女の家は、郷野浦から、阪一つ越えた麦谷《ムギヤ》といふ処にあつた。旧盆には、麦谷念仏と言ふ行事が行はれた。引率者の下に島渡りした、御館配下の古い村々以外の、新しいより百姓等の作つた在処々々では、此処へ霊祭りに来たのであつた。さうして、島の村々の歴史の目安となる念仏修行も、今は他村からは勤めに来なくなり、島の故老――恐らく二代三代前の者――すら、麦谷念仏の由来を知らぬ様になつて居た。
下女は又、河童が人間の女にばけて、お館の殿と契りを結んで、子を生んだ後、見露されて井《カハ》に飛び入り、海へ帰つた水界の信太妻《シノダツマ》の話を伝へる、殿川《トノカハ》屋敷の古い井《カハ》の、今も麦谷にあることを告げた。壱岐名勝図誌で準備しておいた知識ではあるが、此国へ来ると、まだ其地に臨まない先に、実感らしいものに浮き彫りせられて、其原因が捉へられさうな処まで、ちらつき出す刺戟を感じた。明日は麦谷から渡良の蜑の村を訪ねよう。かう思ひながら、蚊帳を跳ねてほんのり黴の匂ふ、而し糊気の立つた蒲団の上に、身を横にした。
四
此国は、生き島である。生きてあちらこちらに動いた島であつた。其故に、島の名もいき[#「いき」に傍線]と言ひはじめたのである。神様が、此島国を生みつけられた始め、此動く島が、海の中にある事故、繋
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