つたおりくち[#「おりくち」に傍線]を、家名としたのだと言ふ、仮名遣ひや、字に煩されぬ説明である。其節、雲雀の先祖には、六字の名号(「三郷巷談」参照)、折口の先祖には、護り袋を下されたといふ。
折口の家は、わたしの生れた鴎町一丁目の家を、ところでは、本家と考へてゐる。静と言ふ兄の立てゝゐる此家は、折口姓を名のる家の中では、一番長い軒・広い屋敷を持つてゐる為、一見腹膨れらしく見える処からの思ひ違ひで、本家は、別にあるのである。
木津勘助町の二丁目と三丁目との間を、南町の方へ走る電車道が通つてゐて、そこに、勘助町の停留場がある。其辺が昔は、田傍(たばた)と言ふ小名であつた。老人は今も、さう呼んでゐる。其処は、叉杖《マタブリ》風になつた辻で、北から来て、つき当つた鋭角の先に、地蔵堂の大きなのがあつて、たばたの地蔵さん[#「たばたの地蔵さん」に傍線]と言うた。此堂も今は、電車道敷の為に、此頃帰つて見たら、石の小さなお厨子の様な物を、北よりの人家の軒によせて拵へて、移してあつた。
此地蔵堂の後、叉杖の西側の枝にあたる勝間(こつま)街道に向うて、はなや[#「はなや」に傍線]と言ふ通り名の家があつて
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