を語つて、私の太宰觀を清くすることに努めてゐた。だから、勘のわるい私には、太宰君の運命をつきとめて考へることが出來なかつた。又、出來たところで、どうなるものでもなかつたが……。その間に太宰君は小説を超えて、――或はまだ著手しない小説の爲に、中年と若年の間に彷徨してゐる男と、若い女との戀愛を實驗しはじめてゐたのであつた。此未著手の小説は、作者の體力の爲か、現實としても未完成に終つたが、あの境をのり超えてくれゝば、其は其で又、さうした男女關係に一つの解決が與へられたのであらうのに――。
太宰君は勉強家で小説の源頭の枯涸することを虞れて、いろんな古典を讀んだ。さうして其效果は、いろんな形で、その作物の上に現れてゐる。この書物の上に彼の積んだ經驗は、我々安んじて眺めることが出來る。だが、世上人としての經驗は、學生と文學者以外になかつた君である。言はゞ懷子《フトコロゴ》のやうな一生だつた。もつと經歴を積んでくれねばならなかつたのだ。ところが流行作者としての生活が、彼を、家と爲事場《シゴトバ》と、其から心を養ふ爲の呑み屋とから、遠く離れて遊ぶことを許さなかつた。唯彼は勉強した。からだ[#「からだ」
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