なども、神女として手づから機織る殿に、おとづれるまれびと[#「まれびと」に傍線]の姿が伝へられてゐる。機を神殿の物として、天を言ふのである。言ひかへれば、処女の機屋に居てはたらくのは、夫なるまれびと[#「まれびと」に傍線]を待つてゐる事を、示す事にもなつて居たのであらう。
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天孫又問ひて曰はく、「其秀起《カノホダ》たる浪の穂の上に、八尋殿|起《タ》てゝ、手玉《タダマ》もゆら[#「ゆら」に傍点]に織《ハタ》※[#「糸+壬」、第3水準1−89−92]《オ》る少女《ヲトメ》は、是誰が女子《ムスメ》ぞ。」答へて曰はく、「大山祇[#(ノ)]神の女等、大《エ》は磐長姫と号《ナノ》り、少《オト》は、木華開耶姫と号《ナノ》る。」……(日本紀一書)
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此は、海岸の斎用水《ユカハ》に棚かけ亘して、神服《カムハタ》織る兄《エ》たなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]・弟《オト》たなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]の生活を、稍《やや》細やかに物語つて居る。丹波道主貴の八処女の事を述べた処で、いはなが媛[#「いはなが媛」に傍線]の呪咀は「水の女」としての職能を、見せてゐることを言うて置いた。このはなさくや媛[#「このはなさくや媛」に傍線]も、古事記すさのを[#「すさのを」に傍線]のよつぎを見ると、其を証明するものがある。すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]の子やしまじぬみの神[#「やしまじぬみの神」に傍線]、大山祇神の女「名は、木花知流《コノハナチル》比売」に婚《ア》うたとある。此系統は皆水に関係ある神ばかりである。だから、このはなちるひめ[#「このはなちるひめ」に傍線]も、さくやひめ[#「さくやひめ」に傍線]と殆どおなじ性格の神女で、禊ぎに深い因縁のあることを示してゐるのだと思ふ。
一四 たな[#「たな」に傍線]と言ふ語
漢風習合以前のたなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]の輪廓は、此でほゞ書けたと思ふ。だが、七月七日といふ日どりは、星祭りの支配を受けてゐるのである。実は「夏と秋とゆきあひの早稲のほの/″\と」と言うてゐる、季節の交叉点に行うたゆきあひ祭り[#「ゆきあひ祭り」に傍線]であつたらしい。
初春の祭りに、唯一度おとづれたぎりの遠つ神が、屡《しばしば》来臨する様になつた。此は、先住漢民族の茫漠たる道教風の伝承が、
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