みぬま[#「みぬま」に傍線]と若やぐ霊力とを、いろいろな形にくみ合せて解釈してくる。それが、詞章の形を歪《ゆが》ませてしまう。
宮廷の大祓《おおはらえ》式は、あまりにも水との縁が離れ過ぎていた。祝詞の効果を拡張し過ぎて、空文を唱えた傾きが多い。一方また、神祇官の卜部《うらべ》を媒《なかだち》にして、陰陽《おんみょう》道は、知らず悟らぬうちに、古式を飜案して行っていた。出雲国造の奏寿のために上京する際の禊ぎは、出雲風土記の記述によると、わりに古い型を守っていたものと見てよい。そうしてすくなくとも、これにはあって、宮廷の行事および呪詞にない一つは、みぬま[#「みぬま」に傍線]に絡んだ部分である。大祓詞および節折《ヨヲ》りの呪詞の秘密な部分として、発表せられないでいたのかも知れない。だが、大祓詞は放つ方ばかりを扱うたことを示している。禊ぎに関して発生した神々を説く段があって、その後新しい生活を祝福する詞を述べたに違いない。そして大直日《おおなおび》の祭りとその祝詞とが神楽《かぐら》化し、祭文化し、祭文化する以前には、みぬま[#「みぬま」に傍線]という名も出てきたかも知れない。
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