があった。これら眷属を引き連れて来て、田植えのすむまで居て、さなぶり[#「さなぶり」に傍線]を饗《ウ》けて還る。この群行の神は皆簔を着て、笠に顔を隠していた。いわば昔考えたおに[#「おに」に傍線]の姿なのである。
底本:「古代研究※[#ローマ数字I、1−13−21]―祭りの発生」中央公論新社
2002(平成14)年8月10日発行
初出:「民族 第二巻第六号」
1927(昭和2年)年9月
「民族 第三巻第二号」
1928(昭和3年)年1月
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
※底本では「八 とりあげ[#「とりあげ」に傍線]の神女」の〔道主王は、稚日本根子大日々天皇の子(孫)彦坐王の子なり。一に云はく、彦湯産隅王の子なり。〕は二行に渡り小書きになっています。
※底本の題名の下に書かれている「昭和二年九月、三年一月「民族」第二巻第六号、第三巻第二号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:
前へ
次へ
全51ページ中50ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング