東遊《アヅマアソビ》天人も、飛行《ヒギヤウ》の力は、天の羽衣に繋《かか》っていた。だが私は、神女の身に、羽衣を被るとするのは、伝承の推移だと思う。神女の手で、天の羽衣を着せ、脱がせられる神があった。その神の威力を蒙って、神女自身も神と見なされる。そうして神・神女を同格に観じて、神をやや忘れるようになる。そうなると、神女の、神に奉仕した為事も、神女自身の行為になる。天の羽衣のごときは、神の身についたものである。神自身と見なし奉った宮廷の主の、常も用いられるはずの湯具を、古例に則《のっと》る大嘗祭の時に限って、天の羽衣と申し上げる。後世は「衣」という名に拘《かかわ》って、上体をも掩《おお》うものとなったらしいが、古くはもっと小さきもの[#「小さきもの」に傍線]ではなかったか。ともかく禊ぎ・湯沐《ゆあ》みの時、湯や水の中で解きさける物忌みの布と思われる。誰一人解き方知らぬ神秘の結び方で、その布を結び固め、神となる御躬の霊結びを奉仕する巫女があった。この聖職、漸く本義を忘れられて、大嘗の時のほかは、低い女官の平凡な務めになっていった。「御湯殿の上《ウヘ》の日記」は、その書き続《つ》がれた年代の
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