巫女であったのである。海北[#(ノ)]道[#(ノ)]主[#(ノ)]貴《ムチ》は、宗像三女神の総称となっているが、同じ神と考えられてきた丹波の比沼[#(ノ)]神に仕える丹波[#(ノ)]道[#(ノ)]主[#(ノ)]貴は、東山陰地方最高の巫女なる神人の家のかばね[#「かばね」に傍線]であった。

     八 とりあげ[#「とりあげ」に傍線]の神女

 国々の神部《カムベ》の乞食《こつじき》流離の生活が、神を諸方へ持ち搬《はこ》んだ。これをてっとり[#「てっとり」に傍点]ばやく表したらしいのは、出雲のあはきへ・わなさひこ[#「あはきへ・わなさひこ」に傍線]なる社の名である。阿波から来経《キヘ》――移り来て住みつい――たことを言うのだから。前に述べかけた阿波のわなさおほそ[#「わなさおほそ」に傍線]は、出雲に来経たわなさひこ[#「わなさひこ」に傍線]であり、丹波のわなさ翁[#「わなさ翁」に傍線]・媼[#「媼」に傍線]も、同様みぬま[#「みぬま」に傍線]の信仰と、物語とを撒《ま》いて廻った神部の総名であったに違いない。養い神を携えあるいたわなさ[#「わなさ」に傍線]の神部は、みぬま[#「みぬま」
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