に傍線]・わなさ[#「わなさ」に傍線]関係の物語の語りてでもあった。わなさ物語の老夫婦の名の、わなさ翁[#「わなさ翁」に傍線]・媼[#「媼」に傍線]ときまるのは、もっともである。論理の単純を欲すれば、比沼・奈具の神も、阿波から持ち越されたおほげつひめ[#「おほげつひめ」に傍線]であり、とようかのめ[#「とようかのめ」に傍線]であり、外宮の神だとも言えよう。だが、わなさ[#「わなさ」に傍線]神部の本貫については、まだまだ問題がありそうである。
私は実のところ、比沼のうなゐ神[#「比沼のうなゐ神」に傍線]は禊ぎのための神女であり、その仕える神の姿をも、兼ね示すようになったものと信じている。丹波[#(ノ)]道主[#(ノ)]貴の家から出る「八|処女《ヲトメ》」の古い姿なのである。この神女は、伊勢に召されるだけではなかった。宮廷へも、聖職奉仕に上っている。この初めを説く物語が、さほひめ皇后[#「さほひめ皇后」に傍線]の推奨によるものとしていたのである。知られ過ぎた段だが、後々の便宜のために、引いておく。
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亦、天皇、其后へ、命詔《ミコトモタ》しめして言はく、「凡《およそ》、子の名は必《かならず》、母名づけぬ。此子の御名をば、何とか称へむ。」かれ、答へ白《もう》さく、……。又|詔命《ミコトモタ》しむるは、「いかにして、日足《ヒタ》しまつらむ。」答へ白さく、「御母《ミオモ》を取り、大|湯坐《ユヱ》・若|湯坐《ユヱ》定め(御母を取り……湯坐に定めてと訓《よ》む方が正しいであろう。また、取御母を養護御母《トリミオモ》のように訓んで、……に――としての義――大湯坐……を定めてとも訓める)て、ひたし奉らば宜《ヨ》けむ。」かれ、其后の白しに随以《シタガヒモチ》て日足し奉るなり[#「日足し奉るなり」に白丸傍点]。又、其后に問ひて曰はく、「汝所堅之美豆能小佩《ナガカタメコシミヅノヲヒモ》(こおび[#「こおび」に傍線]か)は、誰かも解かむ。」答へ申さく、「旦波比古多々須美智能宇斯王《タニハノヒコタヽスミチノウシノミコ》の女《むすめ》、名は兄比売《えひめ》・弟《おと》比売、此|二女王《フタミコ》ぞ、浄き公民《オホミタカラ》(?)なる。かれ、使はさば宜《よ》けむ。……」
又、其后の白《もう》しのまゝに、みちのうしの王[#「みちのうしの王」に傍線]の女等、比婆須《ひばす》比売命
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