を示してゐる。比はもう、我々には、呑み込めない。我々は何でも経済問題に結着させて、世の中が逼迫して、貧民階級の生活といふものは、親子心中する我々の時代よりももつとひどかつたのだといふ風に簡単に解釈してをり、何か共通のものがあるのかも知れないといふ気がしますけれども、ともかく親に暇乞ひをして死にゝ行くらしい。
同じ長歌と申しましても、色々な人が、色々の工夫をして作りますと、いろ/\かはつた表現がかど/″\[#「かど/″\」に傍点]に出て来て興味を覚えさせます。その中でも高橋虫麻呂といふ人、――この高橋虫麻呂といふ人の歌集の取扱ひ方は、以前から私は問題を持つてゐましたし、今でもなほ問題を多く持つてゐるのですけれども、一応虫麻呂の歌として話します――虫麻呂の作つた歌を見ますと、非常に素質のいい、物語の伝承者として、極めて適した人らしい所が出てをります。文学者といふより、伝承者としての素質が十分出てゐるやうな感じがします。とにかく「死に行く処女」といふものがございまして、何のために死ぬるのか、死ぬる目的といふものが本たうは訣らない。一番出過ぎた解釈は、つまりそれは信仰の純粋を保つためとか、神以外の夫を特つことは、神の怒りに触れるからといふので、それで死んで行くのだといふ風にとつてゐるのです。だから死なゝいでいゝ場合もあるわけです。
沖縄の方に行きますと、やはり同種類の話が沢山ありまして、普天間《フテマ》といふ所の普大間権現の由来は、内地でも名高いものです。名前は権現と言つてをりますが、祭神がとつくに沖縄的に変つてしまつてゐます。普天間権現といふ神様は女神で、首里の町の桃原御殿《トオバルオドン》といふ貴族屋敷の娘です。姉さんが結婚した。ところが姉の夫が、女の部屋に入つて来て、その妹娘の顔を見た。さう言ふ場合には、内地では恋愛を表示したからとか、何とかといふところですが、沖縄ではそこまで言つてゐない。男が妹の顔を見たくなつて、女部屋に入つて行つたので、妹娘はそのまゝ家を飛び出してしまつた。その時に内地の苧環――芭蕉の糸を捲いたものを持つて家を出た。首里から普天間まで二里もありませうか、その道を逃げて行つたのです。どん/\逃げて、後を一度も振り返らなかつたが、途中の坂道の所にかゝつて振り返つた。それからはそこを、後見坂(くしみしびら[#「くしみしびら」に傍点])と言ふやうになつた。更にその女性が逃げて行つて、普天間の岩穴に入つてしまつた。その乳母は、自分が仕へてをつた娘が逃げて行つたその後を追ひ掛けて行くと、道の草が、娘の神秘な威力に押されて、皆伏してをつたのですけれども、たつた一種類の草だけが頭をあげて上を向いてをつた。乳母が怒つて、その草を踏みつけた。そのために今でも沖縄では、その芝だけが踏みにじられたやうな形になつてゐる。平草《ヒラクサ》といふ草です。さういふことを普天間権現の由来として伝へてをります。かういふ風に沖縄の伝説を例にとつたのは、つまり、処女は神聖な生活をして、絶対に男を避けるものだといふ説明にぴつたりかなふからです。ところが日本の女性、――少くとも昔の人の考へてをつた日本の女は、それ以外にまだ目的をもつて、この世に現はれて来たやうに思はれる。例へば竹取のかぐや姫のやうに、何のためにこの土地に出て来たのか訣らぬ女性が相当に沢山あります。この世界を騒がせに来たやうなものです。かぐや姫は幸福だからいゝけれども、かぐや姫よりもつと不幸な女性の話は、丹後風土記に出てをります。即、比治山真名井といふ所に降りた天津処女の話はあはれです。その山の下にをつた翁夫婦が、羽衣を隠し、其を悲しんでゐる娘を自分の家へつれて来て養つた。酒を造らせればうまく造るし、機物も巧に織る。所が女の力で家が富んで、必要がなくなると天女を追ひ出してしまふのです。それで天女は怒つて、家を出て道を歩いて奈具といふ所に行つた時に、「わが心なぐしくなりぬ」といつたのが、奈具の社の名の由来だといふことになつてをります。名高い話ですが、この話も、その天女が転生して、とようかのめの[#「とようかのめの」に傍点]神になつたと伝へてゐる。豊宇賀能売神といふのは外宮の神様と、非常に性格の通つた所のある神です。つまり、神名が似てゐるのは、神の性質が近似してゐるのだし、それと同時に名前が一寸違つてゐても性格の上に細かな相違のあることを示してゐるのだ。酒の神です。これには間に飛躍がありまして、天女が死んで、それが神になつたといふ訣なんです。それを、死んだといふ手順だけ外してしまつたのか、強ひて忘却を装うたのか、さういふ風な形で伝へてゐるわけです。かぐや姫の話も偶然、竹取の翁といふ者が正直で、いゝ心を持つた人ですから、あんなに幸福に天に昇つて行きましたけれど、さうでなかつたら同じ運命に落入つても仕方がないのです。
さうしますと、つまりこれらの女性は、この世の中に死ぬために生れに来たといふことになります。死ぬるためにこの世に生れる、或は死ぬるために生れに来るといふことは恐らく意味のないことだと思はれるでせうが、併し死ぬるために生れに来るといふ信仰が、非常に深く保たれてをりました。我々の国にはこれが後に段々難しい理窟を持つて、真実性を備へて来ました。極く平凡な大昔の田舎では、遠い所に我々の世界とは違つた世界がある。即、他界があると信じてゐました。さうして、普通我々はその世界へ行く事は出来ない。併し時として偶然に、或は神から幸ひせられた、恵まれた人達だけが、他界へ行くことが出来ると信じてゐました。併しあちらの世界からは屡々来るものがありました。あつちの世界とこつちの世界に共通のものがあつて、それはあちらから来ることも出来、又こつちから他界に行く事も出来ました。さういふ世界のあることを信じてゐる。つまり一つの他界観念を持つてゐたのです。
日本人がとてみずむ[#「とてみずむ」に傍線]を持つてをつたか、どうかといふことは、大変な問題ですけれども、とてみずむ[#「とてみずむ」に傍線]がなかつたら、恐らくこの他界観念も出て来なかつたらうと思はれるのです。他界に生物がをつて、それが我々と共通した条件で生きてゐるから、我々とそのものとの間に生活条件の通ずるところがある。さういふものがこの世界へ来て、再び他界へ帰ると、つまり完全に神になるのだと、さういふ風に信じてをつたらしいのです。だから日本の地方の社の伝へや、由来書を集めて見ますと、その中の大きな何分の一といふ程度に、「この祭神は昔外国から船に乗つて渡つて来た神様だ」或は外国とまで言はなくても、「どこからか知らない国から渡つて来た神様だ。その船を開いて見たら、若い神が死んでをつた。それを祀つたのが、このお社だ」といふ社がなか/\沢山あります。さうかと思ひますと、それを拾ひ育てたのが、社の神主の祖先だといふ風に説いてゐる所も多い。今までの神道の研究では、そんなものではいけない。そんなことは正当な神道的の考へではない、中間に起つた蒙昧な信仰に過ぎないのだと言うてをりました。けれども、かうした神は非常に数多くあるのです。さうすると、何かその間に理由を考へなければならない。皆嘘だと言つてすましてゐることが出来ないのです。つまり、我々の持つてゐる神様のある大きな部分までは、何の説明も出来ないで、間違ひだと放置してしまふことなのです。それを我々が考へて行きますと、例へばあいぬ[#「あいぬ」に傍線]の熊を殺して祭る熊祭りがあります。よその人間は非常に残酷だと考へますけれども、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]人には熊自身の感情も訣つてゐるのです。死ねば天に昇つて神に生れ変るのだと思つてゐる。さう信じて殺すわけなんです。これは日本と比較研究すべきことなのか、日本の信仰があいぬ[#「あいぬ」に傍線]の社会に移つて行つたのか、簡単に言ふことは出来ませんけれども、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]とは種族において全然違つてゐるにも拘らず、信仰の上に非常に似た所があるといふことは事実です。これは偶然の暗合なのか、それとも当然の理由があるのか考へなければなりません。
他界の生物がこの世界を訪れて来るのは、この世界に来ることによつて、再び他界に帰つたとき、立派な神になることが出来る。かぐや姫も犯しがあつて日本の地へ来たが、それが償はれたから帰へるのだといふことを言つてをりますけれども、その理由は誰も説明出来ないから、天から来るには皆何か失敗してやつて来てゐるやうなことになつてしまつてゐます。何のために失敗をしたのか、失敗はどうして償へるのかといふことの説明なしに済ましてゐる。
先に申しました万葉に出てくる、死んでゆくをとめ達の伝へにしても、本当にさうして死んだのだと思ふ人はないでせう。偶然死んだこともあるでせうけれども、あゝした歌は本当に死んだことを見て作られたものではないでせう。死んだといふ事実よりも、もつと大事な、もつと有力な、つまり昔からの伝へ、伝説といふものが力強く行はれてをつたわけです。それを伝へる土地々々によつて、桜[#(ノ)]児であり、あるところでは鬘[#(ノ)]児であり、真間の手児奈であり、思ひきつて天津処女になるといふ形をとつて、ところ/″\で違つて来るわけです。それが皆死んだといふことは、巫女が、神の外は、男を避けるといふ神道的の普通の解釈の上に、まう一つ古い解釈がなければならないのでせう。つまり「をぐな」とか「をとめ」とか言はれるやうな年齢の者が、生れて直ぐ死んで行く。
それでその死んで行く間に少しの旅をしてゐる。つまりそれは、他界からこの世界に来て、この世界で死んで他界に神となつて現れる。その手順が短くなつたり、長くなつたりしてゐるけれども、ともかくそんな形で現れてゐるものと私共は見てをります。このことは更に男のさすらひ物語を申上げれば、もつと話が理会し易くなるのですが、男の話はすでに度々繰返してをりますので省きませう。
女の場合は殊にあはれに死んで行つたといふことで、悲しまれてをつた人達が多いのですから、幾分若い方々の、荒だち易い心をやはらげることが出来るかと思つて話をして見ました。
この話は、歌を一つ/\解釈して行かなければ、話にならないのですけれども、平凡な皆の知つてをられる歌を、解釈して行く気にもなりませんでしたから、大変筋の立たぬ殺風景な話になつたと思ひます。



底本:「折口信夫全集 6」中央公論社
   1995(平成7)年7月10日発行
初出:「国学院雑誌 第五十三巻第一号」
   1952(昭和27)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十七年四月「国学院雑誌」第五十三巻第一号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:H.YAM
校正:門田裕志
2008年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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