がなかつたら、恐らくこの他界観念も出て来なかつたらうと思はれるのです。他界に生物がをつて、それが我々と共通した条件で生きてゐるから、我々とそのものとの間に生活条件の通ずるところがある。さういふものがこの世界へ来て、再び他界へ帰ると、つまり完全に神になるのだと、さういふ風に信じてをつたらしいのです。だから日本の地方の社の伝へや、由来書を集めて見ますと、その中の大きな何分の一といふ程度に、「この祭神は昔外国から船に乗つて渡つて来た神様だ」或は外国とまで言はなくても、「どこからか知らない国から渡つて来た神様だ。その船を開いて見たら、若い神が死んでをつた。それを祀つたのが、このお社だ」といふ社がなか/\沢山あります。さうかと思ひますと、それを拾ひ育てたのが、社の神主の祖先だといふ風に説いてゐる所も多い。今までの神道の研究では、そんなものではいけない。そんなことは正当な神道的の考へではない、中間に起つた蒙昧な信仰に過ぎないのだと言うてをりました。けれども、かうした神は非常に数多くあるのです。さうすると、何かその間に理由を考へなければならない。皆嘘だと言つてすましてゐることが出来ないのです。つまり
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