を示してゐる。比はもう、我々には、呑み込めない。我々は何でも経済問題に結着させて、世の中が逼迫して、貧民階級の生活といふものは、親子心中する我々の時代よりももつとひどかつたのだといふ風に簡単に解釈してをり、何か共通のものがあるのかも知れないといふ気がしますけれども、ともかく親に暇乞ひをして死にゝ行くらしい。
同じ長歌と申しましても、色々な人が、色々の工夫をして作りますと、いろ/\かはつた表現がかど/″\[#「かど/″\」に傍点]に出て来て興味を覚えさせます。その中でも高橋虫麻呂といふ人、――この高橋虫麻呂といふ人の歌集の取扱ひ方は、以前から私は問題を持つてゐましたし、今でもなほ問題を多く持つてゐるのですけれども、一応虫麻呂の歌として話します――虫麻呂の作つた歌を見ますと、非常に素質のいい、物語の伝承者として、極めて適した人らしい所が出てをります。文学者といふより、伝承者としての素質が十分出てゐるやうな感じがします。とにかく「死に行く処女」といふものがございまして、何のために死ぬるのか、死ぬる目的といふものが本たうは訣らない。一番出過ぎた解釈は、つまりそれは信仰の純粋を保つためとか、神以
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