区画が見えるから、伊良虞崎のことだらうと云ふ人も多いが、いや伊良虞崎に向つて行く途中にある神島といふ島だらうといふ説があります。――私も実は其説ですが、そこに麻績王が流されたことになつてゐる。例の通り万葉集に出てゐるから、その歌だけで、その地から伝つて来たものと云ふことも考へられるでせうけれども、これはもつと材料があります。天武天皇紀には、麻績王は因幡へ流され、麻績王の二人の子供は九州の血鹿島と伊豆の島の二つの島へ流されたといふ風に書いてございます。これはいつも註釈本に引用することですから、新しく申すのも恥しい位のことです。所が常陸風土記にも御承知の通り、行方郡の板来で、あの事実は、自分の所の歴史だとしてをります。此は後の出島の潮来であつた訣です。万葉では伊良虞の島といつてゐる。常陸国では板来だといふ。因幡説でも、やはり別のいたこ・いらこがあつたのでせう。
因幡国の一地方で伝へてゐたのか、或は宮廷などの資料がさふ言う形で残つてをつたのか、謂はゞ、日本紀系統ではさう伝へた訣ですが、さういふやうになるともう訣りません。実際は、初めから訣らないのでせう。日本紀が正しいと言ふのは、以前の学者ならきつと、さうするでせう。ともかくさういふ伝へのあつた所が、奈良朝には、奈良朝関係の文献に三ヶ所ある。三ヶ所あるから、其中一つは正しいのだとさう簡単には行きません。どこかが真実の所で、あと二つは物語がその後から出来た。或は前からあつたものが、物語が一緒になつてしまつたといふ風に考へられゝば、学問は楽なのです。さういふ風な地名があつたのでせう。それはその地名をば歌が指定してをりますから。
「いらごの島の玉藻刈ります」と同情した歌も、「浪に濡れ、いらごの島の玉藻刈りはむ」と答へた歌も、伊勢国説を主張してゐるのです。何にしても、この地名を中心にして、三ヶ所がさういふことを言つてゐたものでせう。これは、三種類の奈良文献から起つたことでなしに、歌が元になつてゐるのです。三通りの外にまだ幾通りか、麻績王流竄の地が主張せられてゐたかも知れません。其上に麻績王ではなしに、別の王を中心として伝へたもの、さう言ふ無限の伝来が残されてゐたことが思はれます。
併し今我々はさういふことを問題にするのではなしに、貴い人が波にぬれていらご(いたこ其他)の島の玉藻を刈つて喰べてゐる。さういふ境遇に落ちてゐる。これは都から遠い田舎にさすらうて来て、苦しんで生きてゐるといふことを、行きずりの同情者が歌ひ、麻績王が答へてゐる。
さういふ事柄は、他にもいろ/\沢山ございまして、平安朝に入つてもありますし、又奈良朝以前に遡つてもありました。そのうち今日問題にしたいのは、それが男の貴い人、或は女の貴い人、どつちかゞ流されて行く。或は自分自身で、流れて行つてゐる――さすらふ[#「さすらふ」に傍点]といふ風な形で、中でも一番均等に行つてゐるのは、允恭天皇の皇子の木梨軽皇子、それからその妹の軽大郎皇女、この二方が、一腹一生の兄妹なのに夫婦の契をしたといふことが、神意によつて現れて、それで皇女が伊予国に流された。これが日本紀の伝へです。古事記の方では、太子流されて伊予に行く。後からその皇女が跡を尾うて行かれた。これがいはゆる道行といふ、旅行のある理由なのですけれども。その途、或は以外でも出来ました歌の一部分が「天田振《アマタブリ》」といつて伝はつてをつて、非常にあはれな歌である。天田振ばかりではありません。その外の「歌群」の中にも、皇子・皇女の歌が入つてをります。我々はどんなに祖先を尊敬してゐるにしても、この時代の祖先が、まさか此程「物のあはれ」は、知つては居なかつたらうと思はれる程、あはれな歌を作られてをります。
かう言ふ歌を謡ふ人、其を聴くことによつて、祖先達のあはれを知る心が育まれて来たことは事実でせう。古代と言へば、一も二もなく信じなくなつたが、さう軽蔑は出来ないものです。さういふ風に、日本紀と古事記では伝へが一寸違ふ。
ところが女性の側の伝へといふのも、又色々な風に沢山ある。
仁徳天皇の皇后の磐[#(ノ)]姫といふ方は大変嫉妬の激しい方で、その嫉妬の表現といふものは或は今日古事記を見ますといふと、如何にも其自身文学だと謂つた感動を受けます。嫉妬の文学的だといふことは、今では喜ばれることではありませんけれども、あれはあゝいふ文学的になつて来なければならぬ理由があつて、あんなに力強い表現をしてをつたのでせう。つまり女の怒りを鎮めるための歌といふものが発達して、其「女怒り」の代表者としての磐姫皇后が存在することになつた訣です。それはやはり万葉集にも出て来てをります。所が万葉では一部分は、既に申しました軽皇女の歌になつてをります。軽皇女の歌か、磐姫の歌か、万葉と古事記、日本紀では、どちらへもきめ
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