つても仕方がないのです。
さうしますと、つまりこれらの女性は、この世の中に死ぬために生れに来たといふことになります。死ぬるためにこの世に生れる、或は死ぬるために生れに来るといふことは恐らく意味のないことだと思はれるでせうが、併し死ぬるために生れに来るといふ信仰が、非常に深く保たれてをりました。我々の国にはこれが後に段々難しい理窟を持つて、真実性を備へて来ました。極く平凡な大昔の田舎では、遠い所に我々の世界とは違つた世界がある。即、他界があると信じてゐました。さうして、普通我々はその世界へ行く事は出来ない。併し時として偶然に、或は神から幸ひせられた、恵まれた人達だけが、他界へ行くことが出来ると信じてゐました。併しあちらの世界からは屡々来るものがありました。あつちの世界とこつちの世界に共通のものがあつて、それはあちらから来ることも出来、又こつちから他界に行く事も出来ました。さういふ世界のあることを信じてゐる。つまり一つの他界観念を持つてゐたのです。
日本人がとてみずむ[#「とてみずむ」に傍線]を持つてをつたか、どうかといふことは、大変な問題ですけれども、とてみずむ[#「とてみずむ」に傍線]がなかつたら、恐らくこの他界観念も出て来なかつたらうと思はれるのです。他界に生物がをつて、それが我々と共通した条件で生きてゐるから、我々とそのものとの間に生活条件の通ずるところがある。さういふものがこの世界へ来て、再び他界へ帰ると、つまり完全に神になるのだと、さういふ風に信じてをつたらしいのです。だから日本の地方の社の伝へや、由来書を集めて見ますと、その中の大きな何分の一といふ程度に、「この祭神は昔外国から船に乗つて渡つて来た神様だ」或は外国とまで言はなくても、「どこからか知らない国から渡つて来た神様だ。その船を開いて見たら、若い神が死んでをつた。それを祀つたのが、このお社だ」といふ社がなか/\沢山あります。さうかと思ひますと、それを拾ひ育てたのが、社の神主の祖先だといふ風に説いてゐる所も多い。今までの神道の研究では、そんなものではいけない。そんなことは正当な神道的の考へではない、中間に起つた蒙昧な信仰に過ぎないのだと言うてをりました。けれども、かうした神は非常に数多くあるのです。さうすると、何かその間に理由を考へなければならない。皆嘘だと言つてすましてゐることが出来ないのです。つまり
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