ければならないことかも知れない。昔神の世からかういふことをしてをつたから、我々の時代にも、さうしたことを行はうといふことになつて、初めた儀礼がないとも言はれません。
万葉集を見ますと、女の人の旅のことも沢山出て来たり、人の中に入つて旅をするといふこともあるし、一人旅をする女のこともあります。ともかくいろ/\な旅があります。それをあなた方の考へる旅とはお認めにならないかも知れませんが、女の人が家出をする話……。昔の女の旅には目的が考へられない。万葉時代の女の人の旅には目的がそんな風にはつきりきまつてはゐない。きまつてゐないと言ふと悪いのでせう。目的は恐らく死ぬるための旅でせう。家を出て行くといふことは、亡命です。女の亡命は、其女性の死を意味するものです。死ぬるための旅と言つていゝでせう。古代女性が家をさすらひ出るといふやうな種類の物語、歌を中心とした物語が相当見えてをります。場合によると、その当事者の作つた歌、死なれた後に残つた男達が作つた歌、そんな風な形で残つてをります。或はさういふ語り伝へがあつて、昔のそれを思ふと昔が恋しいといふやうな、旅行者の作物もあります。
万葉集で名高いのが、真間の手児奈、まう一つは、摂津の蘆[#(ノ)]屋の海岸にをつた女ですから、蘆屋の菟会《ウナヒ》(うなひ[#「うなひ」に傍点]は海岸の義)処女と言ふのですが、この二人のことは幾通りかの長歌、短歌になつて伝はつてをります。その他では、万葉集の巻十六にあります桜[#(ノ)]児、鬘[#(ノ)]児といふ女が、やはり男の競争者を避けて山に入つて木からさがつて死ぬ。或は死場所を求めて池へはまつて死んでしまふといふやうな死に方をしたことを伝へてをります。さう言ふのが非常に沢山あるわけです。さう言ふ木や水で死ぬのは、躰を傷け、血を落《アヤ》さぬ死に方で、禁忌を犯さぬ自殺法なのです。我々はこれは簡単に今まで考へてをります。日本の古代女性には、其職掌上、結婚を避ける女があつた。日本の女のすべてが、必ずしもこの世で結婚するために生れて来てゐない。結婚よりももつと先の条件があるのです。何であるかといふと、神に仕へるのです。人間として、人間の女としては神に仕へることが先決問題で、その次に結婚問題が起つて来る。だから一番優れた女の為事といふものは、神に仕へることである。かう考へてをつたことは事実でせう。事実といふよ
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