系統を引いた恋愛物には、男と女の兄妹及び、肉親の愛のもつれを扱ふものが出て来る訣です。
さういふ風に、女の人は陽の目も見ないと言ひますが、本当に陽の目も見ないやうな、部屋に生活をしてをつた。尤も日本では本当のことかどうか知りませんが、ふれいざあ[#「ふれいざあ」に傍線]教授のごうるでん・ばう[#「ごうるでん・ばう」に傍線]を見ますと、日本の天子は地上に足をつけない。顔も日にさらして外出せない。尤も地や、外光が天子の威光を吸ひ込んでしまふからだといふやうなことを書いてをりますが、併しそれも種のないことではない。さういふことを、日本に来た外国人が聞いて書いた。まさかそこまで伝説化してもゐないでせうけれども、さういふ風に、宮廷その他の神事に仕へる人たちは、禁忌を守つてゐたに違ひない。さういふ風に神事の生活をしてゐる所では、非常な謹慎の生活をしてをりますために家庭にをつてもなか/\陽にあたらない。いはゆるあめのみかげ[#「あめのみかげ」に傍線]、ひのみかげ[#「ひのみかげ」に傍線]といふ言葉がそれを示してゐるのです。宮殿の屋根が天日の陰となつて、神秘な人の威力の逸出を防ぐことなのでした。さういふ家の暮しがある。だから女の人は男性の家族から、顔も知られないでゐる。さういふ女の人が沢山ゐる。そんな女性の、宗教的な聖職にある人が、長い道を旅行して行くといふやうなことは考へられないことなんですね。本当か嘘かといふ気がします。幾ら本当にありましても、怪しまなければならぬ程沢山の伝へがある。沢山あつた所でそれが真実だといふことにはならぬ。即ち一つの信仰をばずつと長い間日本の国で貫いて持つてゐるのですから、その信仰を以て旅をしないでも、信仰の旅をする女の人を考へる事は出来る訣です。そこに伝説は幾らでも出来て来ます。さういふことが伝へにありましても、恐らく遠い旅の空想が、女宗教人の上には纏綿して居たのでせう。
天子の御即位の後、新しく立つた斎宮は、伊勢まで長い道をば「群行」と言ひまして、行列を作つて……、神々の行列に準《なぞら》へて見ればわかりますが、旅に出られます。さうして伊勢に行くまで倭姫皇女が昔通られた通りの道筋を古い儀式によつて行かれました。かういふことは事実である。空想ではない、夢ではない、現実です。それですからないことゝは言へませんけれども、或はかういふことは十分よく考へて見な
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