りさう考へてをつた人達が、昔はをつたといふことをば、後の人々も、多く信じてゐる。さう考へてゐるから、つまり沢山の美しい処女達が死んで行くといふ伝へを継承してをつた。で、真間の手児奈の歌でも、或は蘆屋の菟会処女の歌でも幾通りもありますが、並べて見ますと、作者にもよりませうし、或はそれの出来た時代もありませうし、やはり表現がいろ/\違ひます。真間の手児奈の歌でも、「古に在りけむ人の しづはたの帯解き交《カ》へて、廬屋《フセヤ》立て 妻問ひしけむ云々」といふやうな言葉があるのを見ると、これは真間の手児奈がすでに男性を持つたといふことを、表してゐるやうに思はれる。真間の手児奈は、男を持たないで死んだ処女だとばかり従来は解して来たけれども、「昔をつた人が倭文《シドリ》の帯を解き交換して、そこに迎へるために、婚舎としての廬屋を立てて妻問ひした」といふやうなことが歌つてあるのですと、これはどうも、この表現の仕方は結婚したといふことになる。さうするとどうも、すつかり異なる範疇に属するものと見て来た、安房のすゑ[#「すゑ」に傍点]の珠名に近づいてゐる。他のものは皆さうではない。中に非常に民謡的なものがあるかと思ふと、まう少し進んで来て、本当に手児奈が居つたと信じ、手児奈をばまるで聖処女みたいに見上げて歌を作つてゐる。菟会処女の歌なんかでも、その文章通り解釈すればいよ/\死ぬ時に、その母に死にゝ行かなければならぬわけをいうて死にます。夢のやうな叙述だけれども、彫りの浅い描写をしてゐるのが常の叙事詩を、ある部分だけはつきり言ふと、漠然とした処が大きくなつて出て来る。恐らく模倣の上に、個人的な理会を加へて来るから、一つ/\では、余程かはるのです。大伴家持の歌もさういふ風に作つてゐる。我々には、親の了会を得て死にゝ行くといふことは考へられませんので、さういふ風に解釈しないやうに/\してゐますけれど、さういふことがあつたことも考へてよいのです。宗教的な信仰の形式によつて死ぬるのは、親も止めることは出来ません。それで驚きますことは、たいへん時代が違つてをかしい話だとお思ひでせうが、「堀川」といふ浄瑠璃を見ますと、お俊と伝兵衛がこれから心中に行くといふことをはつきり言つてゐるのに、母親や兄がそれを止めない。どうしても死ぬものなら死ぬで仕方がない。もし生きてゐられたら生きてゐてくれといふやうな考へ方
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