も、幾分熟語を作ると言ふ予期を持つて動いて行く。熟語があつて、その上に、その修飾せられる主部を離れた形になるのだ、と考へなければ、完全な用語とはなりにくいのである。つまり、語としての暗示を含まないからだ。語根の屈折と、語根が熟語にくつついて行つて用語が出来るのであるが、屈折を生ずるには、熟語を作る感じを含んでゐるのである。其感じの強く働いて居るのが、語根の屈折の動詞・助動詞・形容詞でなく、語尾を伴つた用言である。此は文法学者の言ふ、活用するしないの語尾ではない。語原的の分解をして見た、意義上の境ひを以て分けられるものである。語根と語尾との間に語幹を入れて来る学者もあるが、其方の議論は省いて、此処では語根の問題だけにして置く。語尾は終止形をとつて考へると、多少の差こそあれ、皆ウ列音が使はれて居る。く[#「く」に傍線]の語尾を持つてゐる言葉は、来る意味で、ぬ[#「ぬ」に傍線]は往ぬ、る[#「る」に傍線]はある[#「ある」に傍線]が結合して在るの意味に使はれたと言ふ論は、或点までは事実と認められる。万葉集のやうに、日本語を漢字で書いてゐるものを見ると、く[#「く」に傍線]・けり[#「けり」に傍線]などは来と書いて居る。即、其時分の考へで、語尾を漢字で現してゐるのであるから、一応道理である。又、誰もさう考へたのである。併し、意味の訣つてゐないものがある。一音だからく[#「く」に傍線]は来るであらうが、かく[#「かく」に傍線]・とく[#「とく」に傍線]などのく[#「く」に傍線]は訣らない。これは語根が屈折して出て来るのだが、今までは統一的の事実を予期して語尾を使つたとする、所謂一音に一義を認める音義説である。更に進むと、母音と子音とに又意味を求めて行くのである。橘守部は、言葉の研究には非常に優れて居たが、語尾の点では何時も此考へに深く陥つて居る。
接頭語が無意味である如く、語尾は無意味なものであつて、語根を動かすに過ぎない、と言ふ考へは捨てなければならないと思ふ。意味あると考へ過ぎるのも、又無意味だと考へるのもよくないのである。い[#「い」に傍線]・ぬ[#「ぬ」に傍線]或はく[#「く」に傍線]の語根意識は全然誤つてゐるとは言へないのであつて、此は或期間を経て、さう言ふ語尾の組織が出来て来た、即或時期以後の語尾の形だと見るのがよい。語根と語尾の関係も、熟語を作る場合の語根の形から推して行かなければならないのである。
割合近代的の感じを持つ言葉を例に引いて見る。みのる[#「みのる」に傍線]は、み[#「み」に傍線]がのる[#「のる」に傍線]だと言ふ説がある。我々には此言葉が、句乃至文章だといふ感じが退化して、動詞の感じが深い。たがやす[#「たがやす」に傍線]は一語だと思ひ乍ら、「田をかへす」と言ふ気持も制《おさ》へられぬのである。従つて、熟語から出て来る動詞を考へても、段々二つの言葉が結びついて居る、と言ふ感じのなくなつて行く筋道が見えてゐる。併し、古い用言の起源を説く場合、此をみのる[#「みのる」に傍線]と言ふ様な形、即み[#「み」に傍線]がのる[#「のる」に傍線]と言ふ様な文章風な感じのするものから出来て来たと考へるのは、宜くないのである。もつと心理的な、語根と主部との間に、密接な関係と言ふよりも、飛躍があるものと見なければならないと思ふ。
多く用言殊に動詞の場合は、主部が小くて語根が大い。しかも此主部が、動詞そのものゝ職能を定めてゐる。即、活用形が動詞の形を決めて行く訣である。思ふに、語根と主部とで成り立つた動詞は、最初の動詞ではなく、まう一つ前の形は、語根から屈折を生じて出来たものである。いく[#「いく」に傍線]は生活する或は呼吸する意味に考へて居るが、語根の場合にはいく[#「いく」に傍線]弓・いく[#「いく」に傍線]矢など言うて、威力を持つてゐる意味である。形容詞になるといかし[#「いかし」に傍線]など言ふ形を持つて居る。さうなる語根の屈折の状態が、第二義の熟語の場合から動詞を作つて来る場合をも、宿命的に支配して居る。単純な熟語ではないのである。所謂動詞といふ形が、一度単純から複雑な形になつて行かなければならないので、みのる[#「みのる」に傍線]と言ふ形も余程進まねば出て来ないのである。
ウ列の語尾の意味は、必まう少し意義のある完全な言葉が壊されてなつた、即、体言から動詞に屈折して来る習慣から出来たもので、古い意義の具つた言葉が破壊されて固定したものと思ふ。さう言うてしまへば、稍《やや》語弊がある。うくすつぬ[#「うくすつぬ」に傍点]はウ列の終止形であるが、終止形は一番後れて出て来るのである。形容詞で見ると、其がよく訣る。どうしても、終止形から始つて居るものとは考へられぬ。連用形・連体形が先づ出来て、其から終止形が具つて来た傾向がある。第二次的のものになると、一番単純に見える終止形から始つたとは思はれぬのである。動詞の語尾の起源は、ウ列の語尾をいくら研究して見ても訣らぬことであつて、もつと活用全体に通じて考へる必要がある。
其為、昔の誤つた説を以て、まう一度吟味して見ようと思ふ。部分としては認められても、全体では棄てねばならぬ説であるが、動詞は名詞の形を通つて活用して来るとする説である。例を挙げて言へば、ながめる[#「ながめる」に傍線]と言ふ言葉には、同音で違つた成立を持つ物が幾つかある。即、同音異義の言葉がある。其うち平安朝に専使はれてゐるものに、男と女が逢へないで憂鬱な気持でゐる意味に使つた、「ながめ」と言ふのがある。ながめ[#「ながめ」に傍線]には尚遠くの物を見る眺めと、溜息声を出して諷ふ場合がある。かういふ似た言葉の意義をも、少しづゝ兼ねて居るやうである。此ながめ[#「ながめ」に傍線]は、従来否定して来た説に這入つて来る。性欲的に憂鬱になつてゐる、或は恋愛上のもの思ひしてゐる場合に使つて居る。景行天皇記に、「恒に長目を経しめ、また婚《メ》しもせずて、物思はしめ給ひき(古訓)」と書いてある。め[#「め」に傍線]は男と女が逢ふことで、其が名詞的の感覚を強める様になつてからは、妻《メ》になつて来る。「ながめを経しめ」は逢ふことの久しい事であるから、夫婦の語らひをばしない、と言ふ意味である。此ながめ[#「ながめ」に傍線]が、ながむ[#「ながむ」に傍線]の語根である。正しいに違ひないが、これまで否定して来たのである。一度名詞の形をとつたものが動詞的に働いて来ると言ふことは、誤りだとして来たのであるが、併しこれは考へに入れる必要がある。ながめ[#「ながめ」に傍線]をふ[#「ふ」に傍線](経)或はへ[#「へ」に傍線]と言ふ観念の引き続きを持つたのである。ながめ[#「ながめ」に傍線]から直ちに活用を起すのでなく、ながめ[#「ながめ」に傍線]をへ[#「へ」に傍線]或はふ[#「ふ」に傍線]といふ形を漠然と意識して居るその中に、ながむ[#「ながむ」に傍線]が出て来るのである。即、形の上でながめる[#「ながめる」に傍線]が融合して出来たのではないが、一聯の心理がある訣である。みたまのふゆ祭り[#「みたまのふゆ祭り」に傍線]からふゆ[#「ふゆ」に傍線]を独立させて来るのと同じ状態である。さうして、動詞の語尾の発達を考へなければならないと思ふ。
ちやうど適切なことは、ながめ[#「ながめ」に傍線]には尚説明が出来る。これも事実に相違ない。ながめ[#「ながめ」に傍線]は霖雨の時期の物忌みである。此時期に、神がこの世に現れて来ると信じてゐた。さつき[#「さつき」に傍線]とながつき[#「ながつき」に傍線]とは霖雨の時期で、九月と共に五月は物忌みの厳重な時であつた。其中、九月は風俗を離れて信仰だけになつてしまつたが、五月は田植の信仰と結びついて永く残つてゐるから、その理由がよく訣る。五月には、田植の終る迄は逢ふことが出来なかつた。其をながめ忌み[#「ながめ忌み」に傍線]と言うて居る。夫婦であり乍ら、逢へないのである。「ながめを経しめ……給ふ」と言ふのと同じである。果して何れが元か訣らぬが、仮に決着をつけて見れば、長雨の時期で禁欲生活をすることからながめ[#「ながめ」に傍線]が出で、此からめ[#「め」に傍線]が出て、「ながめを経しめ……給ふ」になつたと言へるのであるが、我々は昔の言葉に対する用意や感覚に乏しいのであるから、簡単には決められないのである。
一つの言葉が出来て用ゐられると、他の類似の言葉に対する理会が働きかける、即、第二義的の語原が元の言葉にかぶさつて来るのである。さうさせるのは、所謂民間語原説である。さうなると、何処から起つて来たのか訣らなくなつて来る。さうして用語例と言ふものが、無限に拡がつて行く。ながむ[#「ながむ」に傍線]と言ふ動詞は、先づながめ[#「ながめ」に傍線]と言ふ名詞から来たのに違ひないのである。長雨にせよ、なが媾《メ》にせよ、名詞である。其ながめ[#「ながめ」に傍線]が既に語根の屈折したゞけで出て来たのではなく、動詞状の心理的変化の過程を経て来て居るのである。即、仮に言へば、ながめふ[#「ながめふ」に傍線]と言ふ、謂はゞながめ[#「ながめ」に傍線]を為上げると言ふ感じが、非常に働きかけて来てゐるが、む[#「む」に傍線]といふ語尾をとるには、何等参与して居らぬのである。ながめ[#「ながめ」に傍線]とながむ[#「ながむ」に傍線]はきつぱり分れるが、語原説を持つて来ると、一筋の繋りがある。第二義になると、語根と語尾のはつきり分れるものもある。ともかく、語尾が先づウ列音をつくつたと言ふことは考へられない。さうして、先づ連用或は将然、稀には連体と言ふやうな形が出来て来る。
茲にまう一つ言はねばならぬ事は、動詞の終止形を発生させた原動力の問題である。総て、一つの傾向を無意識に感じて、その傾向の下に置かうとする心である。我々の使つてゐる言葉が統一せられて、下二段・上二段・四段・変格と決つて居た訣ではないが、段々整理されて、幾つかの活用形式を生じて来たのである。各動詞の語尾は刈り込まれて、或形式に統一されて来たのである。大体八種の活用に決つてゐるが、音韻変化を頭に置いて考へれば、もつと単純になる。動詞の活用すらも刈り込まれて、統一せられた形に決つて居る。一つの傾向と見るべきは、終止形と連体形が一つに歩み寄るものである。音を刈り込んでなるものである。此を例に見ると、語尾の単純な形と複雑な形となる。四段のものでは訣らぬが、下二段で見ると、終止形と連体形とが分れて複雑になつて居る。其を刈り込んで単純な形に整へて来たものが、四段活用なのである。併し、言葉と言ふものは、さうした所で、他の点から活用を起して行く事情もある。さうして段々活用形式が整うて来るのであるが、古い終止形は連体様の形が多かつた。其を刈り込んだのが何かと言へば、熟語の動詞の中の主部と語根の中、主部が縮小して出来た語尾であつて、古くは勿論意味のあつたものなることは考へられる。今の人の考へるよりも、更に複雑だつたのであるが、とにもかくにも終止形は語尾が次第に展開して来る径路を示してゐるものと言うてよい。
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(私は所謂、動詞の活段・活用形に関する用語をそのまゝ使ふには、満足しきれない、別の立ち場に立つてゐるものです。併し、かうした小論文に、一々こむづかしく名目にこだはつた新術語を連ねて、一々その説明をして行かねばならぬと言つた方法をさけさせて頂くことにしました。
其と共に、お断りしておかねばならないのは、あわたゞしいうちの筆記によつたものなので、読み返して見て、其啓蒙式な書き方になつてゐるのに驚きました、この種の物を御覧になる大方諸子に対して礼を失した気がねを感じます。)
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底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「川合教授還暦記念論文集」
1931(昭和6)年12月
※底本の題名の下に書かれている「昭和六年十二月刊「川合教授還暦記念論文集」」はファイル末の「初出」欄に
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