さかだる[#「さかだる」に傍線]に、かぜぼろし[#「かぜぼろし」に傍線]はかざぼろし[#「かざぼろし」に傍線]に、すげがさ[#「すげがさ」に傍線]はすががさ[#「すががさ」に傍線]に変る。此は単なる音韻変化ではないのであつて、熟語を作る場合の語根の屈折が、自然に機械的に整理せられる様になつて取つて来た規約である。元を突きとめると、熟語を作る時に、先づウ列の形をとるといふことである。
神風は例外なしにかむかぜ[#「かむかぜ」に傍線]と言うて居る。斎はい[#「い」に傍線]とゆ[#「ゆ」に傍線]両音あつて、音価が動揺してゐる様に考へて居たが、此はい[#「い」に傍線]が動かぬ音で、熟語を作る時にゆ[#「ゆ」に傍線]に変るのである。何故かういふ事が起つて来るかと言へば、かうなる一段前の状態を考へると、総ての語根といふものは、終末音が謂はゞウ列音――即、子音に近い為に、一つ揺れるとウ列――になつて来る。従つて、動詞を作つても終止形がウ列音になる。動詞の中一番動かぬものは、この終止形である。語根と語根が繋つて行くと、ウ列の音が出て来るのである。
語根はウ列に近いものであるから、此考へが先づあつて、熟語を作る場合に其性質が生きて来る。ウ列に近いと言ふ意識が出て、語根だけで満足しきれないで、屈折を生ずる。修飾語の方がウ列に変つて来る。例へば、黄金といふ言葉がある。黄はき[#「き」に傍線]で、我々の考へるが如き黄ではなからうが、此きがね[#「きがね」に傍線]がこがね[#「こがね」に傍線]になる。このこがね[#「こがね」に傍線]も動揺してゐるに違ひない。古くはくがね[#「くがね」に傍線]或はくがに[#「くがに」に傍線]と言うて居る。昔はき[#「き」に傍線]といふ名詞であるが、熟語を作る時には、熟語の主部に対して語根と主部が結びついたといふ形を意識すると、ウ列音を分出して来るのである。我々の国でも、イ列とウ列は近い。木は始終く[#「く」に傍線]と言うて居る。木の神をくゝのちの[#「くゝのちの」に傍線]神と言ふ。瓠の神をくひざもちの[#「くひざもちの」に傍線]神と言ふ。くひざ[#「くひざ」に傍線]は木[#「木」に白丸傍点]で拵へた瓠[#「瓠」に白丸傍点]のことである。き[#「き」に傍線]がく[#「く」に傍線]に変るのにも、一つの原因がある。語根が熟語を作つた習慣に還つて来るのである。火は熟語を作る場合には、殆例外もなくほ[#「ほ」に傍線]と言ふ。ほ[#「ほ」に傍線]はふ[#「ふ」に傍線]と殆一つ音である。う[#「う」に傍線]とお[#「お」に傍線]は近いが、ほ[#「ほ」に傍線]・ふ[#「ふ」に傍線]は更に近い。単なる音韻変化では済まされぬ訣である。かういふ事実があつて、無意識ながら意識を起して来て、其規則を宛てはめて来るから、恰《あたかも》、音韻変化と言ふ考へに這入つて来るのである。此が第二段の熟語法で、名詞的な語尾の屈折と言ふことになつて来る。つまり、用言は独立的に屈折を起すが体言の屈折は下に続いて行くべき主部がある。此は、体言・用言を考へる上の大事なことである。
次に起つて来ることは、我々が音韻変化だと考へてゐる現象で、最目に立ち易いのは、熟語を作る時に修飾部の語根が、ア列の音に屈折するものである。即、修飾の主部がア列の屈折韻になる場合である。すがゞさ[#「すがゞさ」に傍線]などの例である。此には、我々が独立した名詞だと思つて居るもので、熟語の主部を脱落させて居るのが多い。白髪《シラガ》は、け[#「け」に傍線]がか[#「か」に傍線]に屈折したと言ふ事が略《ほぼ》考へられる。併し、毛のか[#「か」に傍線]は上にあつて修飾する場合は訣るが、下にある場合に何故か[#「か」に傍線]になるのか。白毛の髪の意味であるから、此下にまう一つ熟語の主部がなければならない筈である。親はおゆ[#「おゆ」に傍線](老)から出たものに違ひなく、動詞のおゆ[#「おゆ」に傍線]か、動詞以前の語根おゆ[#「おゆ」に傍線]とでも言ふやうな言葉から出て居ると思ふ。「老いびと」とでも言ふ言葉が、下に予期出来るのである。ひと[#「ひと」に傍線]と言はなくても、これを暗示してゐるのである。其が、さう言ふ語を引き離しても理会がゆく様になつたもので、其が屈折したのである。おゆ[#「おゆ」に傍線]は年よつて居る、年長だ、と言ふことに過ぎぬ。年長者が家を切り廻して居るのであるから、古代に於いては、主に女性で、古代のおや[#「おや」に傍線]は母権時代にあつてははゝ[#「はゝ」に傍線]である。後には男を言ふことになつた。昔ははゝ[#「はゝ」に傍線]を祖と書いてゐる。祖の字は祖先の場合に宛てる事もあるが、多く母親の意味である。御祖神も其処に意義がある。
縄は、元、なふ[#「なふ」に傍線]と言ふ言葉から出たに違ひない。初《はじめ》、縄は野生の植物を其儘用ゐて、綯ふ必要は殆無かつた。つた[#「つた」に傍線]・つら[#「つら」に傍線]・つる[#「つる」に傍線]など言うた。太く強くする為、縒り合せねばならぬ。さうして縒つた蔓が出来た。或はしもと[#「しもと」に傍線]を縒つて使つた。しもと[#「しもと」に傍線]は灌木の新しく出た直枝である。「糸に縒る物とはなしに」など言ふ。大小に依つて区別があつて、小い物ではよる[#「よる」に傍線]と言ひ、大い物ではなふ[#「なふ」に傍線]と言ふ。その意味は訣らないが、縄は綯ふ物の意味である。綯《ナ》は物或は綯ふ蔓《ツラ》といふ風な形から音を落して、なは[#「なは」に傍線]とだけ言うて表はして来たことが考へられる。此で見ても、ア列に音を変へて熟語を作るといふ事の理由は、単なる音韻変化ではなかつたのである。
次には、イ列の熟語である。此例は、甚多く、又平凡な事実と見られてゐる。上の修飾部も其主部も、各別個の生命を持つてゐる。名詞と動詞が結ばれる場合、或は動詞と名詞が結ばれる場合に、とり・さし[#「とり・さし」に傍線]はとり[#「とり」に傍線]・さし[#「さし」に傍線]共に生きて居る。二つの言葉が結ばれて一つの言葉になつて居るが、別々にも生きてゐるのである。思ひごと[#「思ひごと」に傍線]・ゆきあし[#「ゆきあし」に傍線]なども同じである。而も亦、熟語なることに疑ひはない。ごく簡単な熟語法である。
このイ列に変つて行くもの以外の熟語法では、昔は普通の連用形のイ列からつかずに、連体形からつく熟語の方が多かつた。連体形から来る熟語は、熟語の感じが不完全だと感じよう。例へば、もゆる[#「もゆる」に傍線]火・いづる[#「いづる」に傍線]湯などは、熟語と認めにくいであらう。形は熟語ではあるが、ぴつたり体言の感じが来ない。併し、実は昔は此形が多いのである。文献時代は、此連用形と連体形の熟語が戦つてゐる時期であつて、イ列から連体形ウを伴うた熟語法の方が、実は古かつたことが考へられる。此も先に言うた、ウ列から主部に続いて行く形になつて来る。ところが、此ウ列から主部に続いて来ると言ふ意識が段々変化して来る。此が用言の終止形と連体形の出来た原因で、第四変化は熟語を作るところから出来て来た。此点は、日本の用言の活用の発生には大事なことであつて、連体形から出た熟語いづる[#「いづる」に傍線]湯は、ぴつたり熟語的の言語情調が出ないのであるが、いで[#「いで」に傍線]湯より古いのである。昔の人には、其感じがあつたのである。言ひ換へれば、連用形イ列の熟語法は、主部と修飾語が別々の意味の感じがあるが、ぴつたりして居る。ところが、連体形よりする熟語は、別々の意味が感じられるばかりでなく、主部が動詞的の感じを持つてゐるのである。
語根の屈折を言ふには、熟語のことを言ふ必要がある。其為、先づ此処では、ア列イ列ウ列の熟語法に就いて言へば足るだらうと思うたのである。
次に、進んで動詞の活用の、どうして出来て来たかを、考へ得る範囲で言うて見ようと思ふ。言葉の研究は、ある程度以上に考へを進めれば、勢ひ推測になるのであるから、或程度に停めて置かなければならないのである。熟語が出来るその前に、語根が屈折を起すと言ふことは説明した。又、語根と同じ形、即、名詞の形でひつくるめられる体言が、やはり屈折をすることも、訣つて貰つた筈だ。扨、これを、今日の我々が使つてゐる動詞の起源と結びつけて見ると、どうなるかと言ふと、実は動詞の起りは訣らないのである。溯れる過去の我々の国語には、ある進歩を遂げた形しかないからだ。唯どうしても、語根のもつと自由に働いた時代を考へる事が、動詞並びに用言の発生に薄あかりを与へることにならうと考へるのである。其には、二通りの道がある。一個の体言が直ちに屈折を起したもの、他の一つは、熟語の形を作つて比較的完全な用言形式を持つやうになつた、即、用言形式を作る為に熟語の形を経て来る、と言ふ此二つである。ふる[#「ふる」に傍線]と言ふ言葉は、何処まで体言で何処まで用言か訣らぬ。この用言風のふる[#「ふる」に傍線]は、同時に体言らしい意義も発揮してゐる。熟語とならなくても、明かに体言の職能を示して居るのである。其が屈折を生ずる。我々の知つてゐる限りの形では、ふら[#「ふら」に傍線]・ふり[#「ふり」に傍線]・ふる[#「ふる」に傍線]即、四段の活用に近い。さうして、ふるゝ[#「ふるゝ」に傍線]・ふるれ[#「ふるれ」に傍線]といふ形は不完全である。体言からすぐに動詞になつて来たものは、過去の或時代に都合のよい形だけ働いて、他は働かなかつたものである。此は沢山ある。ふる[#「ふる」に傍線]でも、連体形以前の形は疑はしいと私は思ふ。
ふゆ[#「ふゆ」に傍線]即、ふえる[#「ふえる」に傍線]と言ふ言葉は、唯増殖する意味だけではなく、分割する即、同じ性質を持つたものに分裂することである。このふゆ[#「ふゆ」に傍線]と言ふ言葉が、我々の考へて居るところでは、下二段の動詞だけであるが、昔程増殖する意味より分割する意味の方が多かつた。「品陀の日の御子 大雀《オホサヾキ》おほさゞき、佩かせる大刀。本つるぎ 末ふゆ……」(応神記)と言ふのは、根本が両刃の劒で尖が幾つにも岐れてゐる、即、刃物に股があり末が分裂してゐると言ふのである。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]は魂を分裂さすことだから、一種のことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]の唱言であつた。このふゆ[#「ふゆ」に傍線]と言ふ言葉が、はつきり名詞になると、季節の冬になる。これは疑ひない。年の終りになると、みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]の祭りを行ふ。その時期がふゆ[#「ふゆ」に傍線]なのである。それから極く小な形が出来て、季節の冬になつた。「みたまのふゆ[#「ふゆ」に傍線]祭り」を間に置いて考へると訣る。ふゆまつり[#「ふゆまつり」に傍線]のふゆ[#「ふゆ」に傍線]が、名詞的な感じを持つて来るのである。
文法学者の挙げる例は、古代と近代とを混合する。其為、実例なのか、其とも譬喩として使つてゐるのか、訣らない物がある。それで、私は近世の例を避けて言ふ。例へば、鎮魂歌をたまふり[#「たまふり」に傍線]の歌と言ふ。国々に於ける鎮魂歌は、くにぶり[#「くにぶり」に傍線]と言うて現れた。後には段々本義を忘れて、所謂風俗歌の感じになつて来る。くにぶり[#「くにぶり」に傍線]が、国のたまふり[#「たまふり」に傍線]の歌といふ意味を持つ迄には、大分な時間を経て、人の頭に熟して来なければならない筈である。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]も其と同じ訣なのである。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]とだけ言つて、今の冬の感じが出て来る訣ではない。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]と言ふ言葉を持つた印象深い事実があつて、其からふゆ[#「ふゆ」に傍線]といふ単純化せられた言葉が出来、初めて我々にぴつたり訣つて来るのである。熟語の形をとる場合は、其が割合はつきりして居る。みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]は魂を分割する式の事で、語形としては割に不安がない。後に御蔭を蒙るといふ意味になつて来る。語根と言ふものが段々用言状になつて行くにして
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