て来る。
茲にまう一つ言はねばならぬ事は、動詞の終止形を発生させた原動力の問題である。総て、一つの傾向を無意識に感じて、その傾向の下に置かうとする心である。我々の使つてゐる言葉が統一せられて、下二段・上二段・四段・変格と決つて居た訣ではないが、段々整理されて、幾つかの活用形式を生じて来たのである。各動詞の語尾は刈り込まれて、或形式に統一されて来たのである。大体八種の活用に決つてゐるが、音韻変化を頭に置いて考へれば、もつと単純になる。動詞の活用すらも刈り込まれて、統一せられた形に決つて居る。一つの傾向と見るべきは、終止形と連体形が一つに歩み寄るものである。音を刈り込んでなるものである。此を例に見ると、語尾の単純な形と複雑な形となる。四段のものでは訣らぬが、下二段で見ると、終止形と連体形とが分れて複雑になつて居る。其を刈り込んで単純な形に整へて来たものが、四段活用なのである。併し、言葉と言ふものは、さうした所で、他の点から活用を起して行く事情もある。さうして段々活用形式が整うて来るのであるが、古い終止形は連体様の形が多かつた。其を刈り込んだのが何かと言へば、熟語の動詞の中の主部と語根の中、主部が縮小して出来た語尾であつて、古くは勿論意味のあつたものなることは考へられる。今の人の考へるよりも、更に複雑だつたのであるが、とにもかくにも終止形は語尾が次第に展開して来る径路を示してゐるものと言うてよい。

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(私は所謂、動詞の活段・活用形に関する用語をそのまゝ使ふには、満足しきれない、別の立ち場に立つてゐるものです。併し、かうした小論文に、一々こむづかしく名目にこだはつた新術語を連ねて、一々その説明をして行かねばならぬと言つた方法をさけさせて頂くことにしました。
其と共に、お断りしておかねばならないのは、あわたゞしいうちの筆記によつたものなので、読み返して見て、其啓蒙式な書き方になつてゐるのに驚きました、この種の物を御覧になる大方諸子に対して礼を失した気がねを感じます。)
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底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
   1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「川合教授還暦記念論文集」
   1931(昭和6)年12月
※底本の題名の下に書かれている「昭和六年十二月刊「川合教授還暦記念論文集」」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年8月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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