いものなのである。
沖縄語と言つても、村々で言葉は違ふ。其は村の神の違ひに依る。必要以外言葉を交さない村々が彼方此方にあり、其為に古い言葉が維持せられて居る。神々の発する神言に依つて、支配されてゐる部分が尠くないのである。おもろ[#「おもろ」に傍線]・おたかべ[#「おたかべ」に傍線]・みせゝり[#「みせゝり」に傍線]などいふ種類、或はまたその系統のものが、まだ地方に残つて居る。此が地方の方言を今も尚支配してゐて、日常語を古い状態に置いて居るのである。おもろさうし[#「おもろさうし」に傍線]は、さうしたおもろ[#「おもろ」に傍線]を六百年前から中央に集め蓄積したものである。
沖縄語では、小いと言ふ意味の言葉が下につく。関東から東北地方へかけて、盛んに語尾にこ[#「こ」に傍線]をつける事実に似てゐる。小い何々と言ふ義で、橋ぐゎぁ・牛ぐゎぁなどゝ言ふ。小い橋・小い牛といふ組織である。ちやうど日本語の接尾語に似てゐるが、此は必しも小いと言ふ意味ではない。国語でもこ[#「こ」に傍線]・さ[#「さ」に傍線]・を[#「を」に傍線]など言ふ接頭語は小いものゝ意味であるが、ぐゎぁ[#「ぐゎぁ」に傍線]は親愛の意味で、さゝやかなでりけいと[#「でりけいと」に傍線]な感じを以て接する時の言葉で、かならずしも小くなくても宜いのである。沖縄では、この熟語法が直ぐ眼につく。かうした文法組織が沖縄には幾らもあつて、おもろ[#「おもろ」に傍線]以来の文献にも、方言にも残つて居る。ぐゎぁ[#「ぐゎぁ」に傍線]の古形は、がま[#「がま」に傍線]である。母及び妣の国を懐しんで「母《アモ》がま」と言つたのが、「あんがまあ」となつてゐる。宮廷女官の称号であつた「あむしられ」は「知られ母《アモ》」と言ふ義である。「きんまもん」なる霊神は、「真物|君父《キミ》」の義に過ぎない。かうした事は、更に台湾にもある。台湾人の言葉と言つても、蕃族調査報告書などに依つて見るだけでも、生蕃・熟蕃の言葉を整理して見ると、言葉は固より文法組織は部落々々に依つて違つて居る。うらるあるたい[#「うらるあるたい」に傍線]型の組織の幾分を持つた処もあるが、多く所謂南洋系の構成法を持つたのが普通である。最後が述語で終ると言ふ形とは全く異り、英語の様な形式を持つものもある。従来の言語学者は、語序を以て同語族を組立てゝ行くのであるが、其は、殆
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