辞表現かも知れない。
とにかく、大物主は外来魂の考へを含んでゐたことは、一つ事の二様の現れと見える少彦名漂着譚と此二魂に関する記の伝誦とを見れば知れる。大国主の外来魂の名が、少彦名の形を以て示されてもゐたことは明らかである。
我が国の文献に俤を止めた古代生活の断片は、伝承の性質上、神に近い聖者・巫祝の上を談つたもので、凡下の上の現実として、其生活の痕と見ることは出来ないのである。而も其等の伝承が、記述当時の理会に基いて、普遍的な事の様に、矯めて書かれて居るものが多い。だから、魂の問題も、神に限つた事であることもあり、又、最高の神人として「神の生活」に居ることの多い天子及び国造の原形なる、邑君及び、高位の巫女の上にもおし拡げることの出来る場合も多い。だが、奇魂・幸魂の事は、天子の御代には見えて来ない。唯、荒魂を意味するらしい「天皇霊」なる語が、敏達十年紀に見えて居るのが、異例と思はれる位である。天子には「日の御子」なる信仰上の別称があつた。外的条件としては、近卑親継承と言ふ形は厳かに履みながら、信仰的には、先天子との血族関係を超えて考へられた。先天子の昇天と共に、新しく日の神の魂を受けて
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