考へるにも組織立つた感じを持たせ、先進民族の考へ方に近い誇りを抱かせたに違ひない。出雲国造神賀詞に、大物主を大国主の和魂として居るのは、外来魂を忘れ、内在魂の游離分割の考へ方を、おし拡げる様になつた時代の飜案である。
又、纔かに人間出の魂魄をおに[#「おに」に傍線]とする外、霊物をすべて神と見る様になつた時代に、寄り来る魂は、威力ある天つ社・国つ社の神の荒魂・和魂と見なされる様になつた。荒魂を祀ることは、祟りをのがれる為ばかりではない。ある時威力の加護を受けた感謝、又狭くは、戦争・病気・刑罰・呪咀の力の源として頼まうと言ふ心からゝしい。和魂の方も、健康を第一として、言語・動作の過誤を転換させ、生活を順調に改更する力の、常住与へられる様にとの考へから祀られる様になつた。此二魂斎祀の風と、御子神信仰とが、社の神に分霊を考へる習慣を作る主力となつたものと思ふ。
ある神の一魂を祀る社もあり、同所に二魂を別けて祀る風も出来た。従うて、常態即、本体と見るべき和魂に、一時的の発動を条件とした荒魂を、常に対立させて考へる様になつて行つた。
奇魂・幸魂なる語《ことば》は、元来対句として出来た、一つ物の修
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