がする。其ほど、関聯深き他の芸との連鎖が緊密であつて、到底放しては、考へることの出来ないものなのである。だが、其れの文学側から見たものなることを意味させる為に、仮りに唱導文芸と言ふ程の名にしておきたい。文学であることよりも、まづ声楽であつたのである。更に多くは、単なる声楽たるに止らず、舞踊をも伴うて居たのである。又更に、ほんの芽生えではあるが、演劇的の要素をも持つて居り、後代になると、偶人劇としてある程度まで、発達した形をすら顕して来る様にもなつた。類似の芸能の上に見ても、必奇術・曲芸の類の演技をも含んで居つたことが思はれる。殊に、其が漂遊を、生活の主な様式とする人々の間に発達したことにおいて、後世の所謂演芸分子の愈増大した事が想はれ、又事実において、さうした傾向が、著しく窺はれもするのである。
唱導文学とは、宗教文学であると共に、宣教の為の方便の文学であり、又単に一地方の為のみではなく、広い教化を目的とするものである。ある宣布を終へた地方から、未教化の土地へ向けて、無終に展べられて行く事を考へてゐる者でなくてはならない。だから当然、旅行的な文学である。さうして唯、其文学が旅行するばか
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