線]の部分とも見るべき形で、如何にも、個性乏しいものになつて出て居る。が、又ある層に属する人々は、之を新文学における、地の文は漢文、抒情部分短歌と謂つた、奈良期の新感覚に適した様式に為立てあげて来た訣なのだ。而も、此二篇とも、旅行の印象を叙べる側に、著しく進んで来た事を示してゐる。
この様に、事件を叙述する事よりも、旅先又は旅の中途の感情を主とするのが、つまり二つの土地の聯絡と言ふことを心に持つて来たことを示して居るのである。謂はゞ後者は、古い道行きぶり[#「道行きぶり」に傍線]の形の進んだものであり、前者は、主題以外は齣毎に目的を展開する多幕劇に近づいて来てゐるのだ。だがともかくも、唱導的な意義の遺却せられない文芸として、一貫的に、その信仰の中心たる神・仏或は人の、其大を成すに到る道程の発達を意味する苦しみを語る事に力を集めて居り、其に多くの漂浪の歎きを絡まして居る。
日本古代における威力神が、常にある旅程を経て来り、而もかよわい神であつた者が、此土において、俄かに其能を発揮すると考へられた――と言ふよりも、逆にさうした信仰を生み出す習俗が行はれて居た――ところから、かうした唱導の主題は生まれて来るのである。同時に又、多趣多様の唱導が、元極めて少数類型の分化に過ぎなかつた事も考へられるのである。だから、此種の文芸は、古い物程、罪障によつての流離を説く。此点殊に、説明を要する所であるが、今は此程度に止める。此は、その神人の奨める禊祓の法の起原を説明し、贖罪の原由を、神に基くものとする様になつて来てゐるのである。
わが国の古代宗教の中、旅行による布教法をとつたもの――すべての宗教が、其であつたに違ひないが――は、何時からか、海の水或は、山の水を以てする禊ぎを、儀礼の中心としたものであつた。時としては、単に其を行ふ呪法そのものゝ様にも見えた。さうして、神は其を人々に慂める為に、此土に姿を現《ゲン》じて居るものゝ様にすら考へられた。さうして多くの場合、此神自身之を行ふ事の代りに、神の介添へとも、神の育て主とも言ふべき大忌人があつて、神を守《モ》りながら、諸国を歩く。
さて、此神人団は、時として分裂して、ある適当な地に残り、一部は更に旅行を続けて行くと謂つた形を持つて居た。さうして、其儀礼の威力を正当に顕す為に、其神と、其儀礼との関聯する本縁を説く所の詞章を諷誦したものら
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