しい。
譬へば、穴師《アナシ》神人の山の聖水を以てする呪法は、恐らく穴師部所伝の詞章を生んだものと思はれる。即、穴師|兵主《ヒヤウズ》[#(ノ)]神《カミ》なる水神に関する物語として、抱き守りの巫女と、幼君を主としたものに飜訳せられ、一つの「ひな神」信仰の形を採る事になつた。又譬へば、丹後風土記逸文に見えた、八処女起原説明古伝とも言ふべき、天[#(ノ)]真名井の羽衣物語である。記述では、わなさ[#「わなさ」に傍線]翁は、薄情な人間悪の初まりを見た様に説かれてゐるが、此物語の彼方に見えるものは、わなさ[#「わなさ」に傍線]翁なる神人にして、遂に神と斎かれたものが、元ひな神[#「ひな神」に傍線]の抱き守りだつた俤を持つてゐることである。「阿波来経《アハキヘ》わなさ彦」と言ふ出雲風土記に見えた神は、尠くとも出雲国だけで言へば、ある古代に阿波の美馬(ミルメ)から、此亦出雲に斎かれた社の多い「みぬま」の女神を将来した神人の神格化したものである。此「みぬま」の女神の、信仰の中心となつたものは、天真名井に行はれた以来の行法と信ぜられた禊ぎである。此が亦宮廷の神及び主上に伺候する丹波の八処女の起原であると共に、丹後風土記には、みぬま――風土記的には、ひぬま[#「ひぬま」に傍線]――の女神自身、禊ぎをした事の様に伝へられてゐる。
わなさ神人の手で育まれたひな神[#「ひな神」に傍線]、長じて家を放たれ、漂浪して遂に道に斃死し、其が復活転生して威力ある米の神――飯及び酒の神――となる。かう言ふ風に、代表的な遊行神伶の持ち伝へた神の姿を見せて居る。
此丹後風土記所伝の女神の物語は、甚竹取物語の要素に牽かれて来た様に見える。どうしても、禊ぎの介添へたる湯坐《ユヱ》の巫女と、巫女の父なる大忌人との上に今一つ、此物語では、巫女の陰に没してゐる幼神があつたに相違ないのだ。即、竹取型になる以前の形があつて、誉津部《ホムツベ》・多遅比部《タヂヒベ》などの部曲伝承に近かつたものと思はれる。
誉津部の伝承と思はれるものは、此|子代部《コシロベ》の開祖誉津別皇子の歴史を説いた貴種養育譚において、出雲風土記所伝の鴨神あぢしきたかひこね[#「あぢしきたかひこね」に傍線]の物語と殆ど一つである。又謂はゞ、通常称する所の鴨神の其父神大国主、更に其父神すさのを[#「すさのを」に傍線]にも、共通する部分がある。即、妣の
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