の固定である。だが、其よりも先に大切な事は、その人々は、実は旅行者でなく、ある邑落と不即不離の関係で、生活してゐる者でなければならなかつた。此言ひ方は実は少々、錯乱を含んでゐる。同じ村の生活者の一部が、週期的の来訪時と考へられた時期に、恰も遥かな――譬へば通例、海彼岸《カイヒガン》に在ると考へられた――国土から出発して来向つたもの、と信仰的に考へられて居た。これが多分、最古くからの正しい形で、亦最後世までも俤を存したものと見える。其に対して、或は今一つ前の姿と誤認せられ易いのは、次に言ふものである。其邑落と、平常に何の交渉もない社会生活を続けて居て、単に祭祀の短い期においてのみ、訪問して来る団体の出る、別殊の部落――多くは、訪れを受ける村よりは、小い組織の村と考へられてゐたらしい――があつた。要するに、後代まで山奥或は、岬《ミサキ》・島陰の僻陬に構へた隠れ里から、里の祝福を述べる為に、年暦の新なる機会毎に来訪すると言ふ形の、部落があつたのである。此意味において、古代日本民族の中心となつてゐた邑落に対して、海部《アマ》或は山人《ヤマビト》の住みかと言ふものが、多くは指顧する事の出来る様な
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