ずである。謂はゞ、垂直的に我等の生活を引き上げて行く、と言つた態度の文学が、現れなければならない。従来の文学論や審美学は、壮大な美を空想して来た。而も、彼等は個性以外に、境涯と伝統とが、壮美を表す要件である事を考へ落してゐる。至尊族の太み[#「太み」に傍線]の文学が、其適例である事などは、勿論顧みられてはゐない。
やまとたける[#「やまとたける」に傍線]或は、大国主・大鷦鷯《オホサヾキ》天皇・大長谷稚武《オホハツセワカタケル》天皇に仮託した文学は、所謂美的生活に徹した寂しさ、英雄のみが痛感する幽《かそ》けさを表してゐた。私は、此院がかうした無碍光明の無期《ムゴ》の寂寥の土に、たけび[#「たけび」に傍線]をあげられずにしまうた事を残念に思ふ。
やまと心[#「やまと心」に傍線]の内容も、平安王朝では既に、変化し過ぎて居た。此君子理想の素質は、実にいろ好み[#「いろ好み」に傍線]と同一内容を持つて居た。而も、女房から隠者へとおし移つた、文壇の中心潮流は、此意と嫉みと、失恋《フルサレ》とを、どう整理して行くかといふ事を、主題としてゐた。而も、隠者の文学は、常に社会に対して、優越感を持つてゐた。はぐらかし[#「はぐらかし」に傍線]と、苦笑とを以て、一貫したものであつた。あきらめ[#「あきらめ」に傍線]はまだよい。世人に向つて、無責任な人生観を強ひもした。芸謡・民謡或は、文学作物が、此態度から生れたとしたら、どうしても、廃頽味を深くしないはずはなからう。新古今と後鳥羽院の作物が、愈進んで益《ますます》廃頽趣味に近づいた理由は、今までの長談義の中心にしてゐるものであつた。即、女房から隠者へ進み入つた世の姿が、其まゝ新古今及び遠島抄並びに、後鳥羽院以下の作物の文因をなしたのであつた。遠島抄といふ名、実は、後鳥羽院口伝と称する歌学書の異名なのをこちらへ移し用ゐる方が寧よい。
七 遠島抄の価値 一部抄出
隠岐本新古今集の価値は、三矢先生と武田との解説に見える様に、新古今集の成立に細やかな見方を授けてゐる。こゝにも文学史との離れぬ関係のあることは、勿論である。所謂隠岐本は、正確には「新古今抄」を含んだ「新古今集」の最善本である。後鳥羽院蒙塵前の最終の姿を伝へた、謂はゞ決定版――版ではないが――とも見るべきものに、更に遠島抄(仮りに名づける)を得て書き込んだのである。だから、流布本新古今に対する穏岐本関係と同様、隠岐本の中から、遠島抄を独立させて考へて見る事が、大切である。隠岐本からは、新古今集選者個人の態度・標準・鑑識などが大体窺はれる。其処から、ある選者の批評家としての態度の由来する所なる、作者としての傾向・内生活を、もつとよく知ることが出来る。今一つ、時代全体の理想・主義・趣向が見られる様なこともある。
遠島抄では、後鳥羽院の、わりに拘束のない鑑賞が窺はれる。しかも隠岐本全体と比較して行くと、態度の遷移は、ある点まで現れて来る。かうした遠島抄と、定家撰進の新勅撰集とを比べて見ると、おなじ新古今集を出て、どういふ道筋を通つて岐れて行つたかゞ考へられる。定家は、後に新古今の技巧をある点まで超脱する事が出来たのか、其とも以前は、時流を逐うて其を顕さなかつたのか、此はどちらも見られる。拾遺愚草を見ると、無技巧に近い物や、平俗に陥つたものが、年齢に関係なく交つてゐる。だが、新勅撰は言ふまでもなく、為家以後の二条伝統は勿論、冷泉派の、等しく標準としてゐるのは、定家晩年の歌風である。そして其が、後世堂上派の無感激な物に移つて行つたのを考へ合せると、定家は可なり変化したのである。其は、彼の教へを受ける様になつた新興階級の武家の知識・素養の劣つた理会・発想に相応する様に努めた所からも来たであらう。ともかくも、王朝末に起つた基俊以来の平俗主義に戻つたのは事実である。
遠島抄の態度を見るには、棄てられた歌や、切り込まれた歌の側から、はひつて行けばよい。まづ、伝説的に名高い歌、或は一世に騒がれたなどいふ物に向つて、よほど批評が解放せられて来てゐる。次に、ある主義や傾向に隠れて、何でもなくて、過当に評価せられて来た物や、空虚な内容を、おほまかに見える無感激な調子で表したものなどが、却けられて来た。平俗なあてこみや、弛んだ調子などが、明らかな截り出しの標準になつてゐる。
院にとつては、技巧は全生命であつた。技巧の動力たるしらべ[#「しらべ」に傍線]が、歌の全体であつた。遠島抄になつても、さうした方面に異色を持つ物は、出来る限り保存せられた様である。其に、新古今時代から著しく見えた傾向は、古典的な興味の、薄くなつてゐる事である。小唄式の技巧や、音律などがとり込まれたことは、既に述べた。枕詞・序歌は、必しも喜ばれず、本歌も、技巧の本流ではなくなりはじめて来た。縁語の勢力は、しらべ[#「しらべ」に傍線]に交渉が尠い処から、大した問題にならなくなつた。かけ詞は、調子の曲折を作ると共に、意義の快い転換と、切迫とを起し、自ら外形にも緊張感を来す。此意味に於て、其新味のある物は、愈喜ばれる様になつて行つたものである。此等の傾向は、新古今集各本に通じて言へることでもあるが、遠島抄の中心態度は、茲に在るのである。
其は、耳からする芸謡・民謡類の、雑多な影響のある事は勿論であるが、目から入る文を読む時に起る、音律感からも来てゐる。私は、連歌に詠まれる人事や、歌詞などから、主として導かれてゐる様に思ふ。王朝末から段々、たけ[#「たけ」に傍線]の意識が明らかになつて来てゐたのを、新古今で極度に、其を伸した結果、近代的感覚を喜ばす様なしらべ[#「しらべ」に傍線]を欲する様になつて、茲まで行き著いたものと思ふ。
底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「隠岐本新古今和歌集」
1927(昭和2)年9月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二年九月『隠岐本新古今和歌集』巻首」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年7月13日作成
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