になるに連れて、此までなかつた事がはじまつた。神秘主義の薄らいで来た宮廷では、天子・中宮すら、かうした競技に加はられてもさしつかへない様になつて来た。古今集に、当今の御製のないのも此為だ。時としては「上」或は「宮」などの称号を以て示してゐる。が、此は後の書き直しで、恐らく伝達した女房の名或は、単に女房として、出詠せられたものであらう。さうした女房が、古い歌合せにも多い。だから、後鳥羽院に始まつた事とは言へないのである。唯、此頃になつて其が、亭主としての権威を示す方法の様に、考へられ出したのも、事実である。
六百番歌合せにも、さうした気持ちから、亭主の良経は、番の歌には女房を名告つてゐる。此風は後程盛んになつて、表は全体匿名の歌合せすらある。戦国の浪人や、其意気を守つた江戸初期の武士などの間にはやつた「何々之介」と言つた変名も、起りは一つである。此は、室町以来の草子・物語から来た趣味の応用であつた。鎌倉の昔も、さうであつた。歌は学問であつて、才芸ではなかつた。歌合せ・連歌、皆文学意識は持たれて来ても、遊戯であつた。文学らしくなればなる程、韜晦趣味・ちゃかし[#「ちゃかし」に傍線]気分が深
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