まつて行つた。歌は真の文学に据ゑられながら、同時に、生活の規範となつて来た。文学としての内容を持ち、新しい観照態度を与へて居ながら、歌合せ・連歌は文学ではなかつた。でも、今から見れば、其が文学意識から出てゐたのだ。さうして、其から出て来る態度は、逃避・傍観・偸安であつたのだ。文学が文学でなく、非文学が却つて、文学の種子を含んで居た訣である。
連歌・誹諧を無心体、其作者を栗[#(ノ)]本衆と呼んだと伝へてゐる。其は、親しみから出た軽い嘲笑を含むに過ぎないが、柿本朝臣の流のまやかし[#「まやかし」に傍線]物の意義である。この時代の「心ある」といふ語《ことば》は、自然・人間に現はれる大きな意思を感じ得る心である。人間らしい人の、きつと具へねばならない優れた直観力である。風雅に対する理会力は、心ある[#「心ある」に傍線]状態の、ほんの上面《ウハツラ》の意義である。無心は、そつくり其逆を意味する程ではなかつた。其にしても、没風流の上に、ものゝあはれ[#「ものゝあはれ」に傍線]を度外視して、うき世に沈湎する人・悟り得ぬ不信者など云ふ義はあつた。さうした連歌も、有心衆が一切指を染めない訣ではなく、却
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