つて盛んに弄ばれた。遊戯と実事と、此両方面が、当時の文人の心に、差別なく影響を与へてゐた。其は歌の上の事である。平安末期の初めまでは、歌合せは、神事の古い姿を備へてゐた。其が、後鳥羽院になつてから、ずつとくだけて、宴遊の形を持ち出した。歌合せに臨んだ気安さと、隠者趣味――当時唯一の文学者式の生活――が、高貴の名の持つ伝来の風習を、合理化して了うたのだ。

     二 隠者の文芸

王朝の末百年、とりわけ目立つて来たのは、平賤階級の生活を知つた、上流の人々の驚異の心であつた。其動機は数へきれないが、文芸から見れば、小唄・雑芸《ザフゲイ》・今様類の絶え間ない刺戟を、まづ言はねばならぬ。此が、新興文学らしい勢の、受け入れ易い連歌に影響した。其ばかりか、後鳥羽院は、院[#(ノ)]御所や水無瀬殿で、今様合《イマヤウアハ》せを催して居られた。此今様合せなどから、歌合せも気易く考へられるやうになつた。
此は、後白河院あたりの蹤を追はれたものであらう。恐らく王朝末に新詩形として、明らかに意識に上つたし、実は後期王朝の初めからあつた今様は、声楽たると共に、文学様式の一つとして用ゐられた。而《しか》も直
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