詩としては類型式なり、断篇風な物であつても、此先進文学の持つよい態度が、敷き写しに伝へられてゐた。漢文学には、歌には忘れられ勝ちな文学意識だけでもあつた。対句詩人すら其を失はずに居た。
日本の漢詩は、字面は支那の律に従うてゐても、実は変態の国文として訓《よ》まれ、詠ぜられて来た。固有の詞章になかつた音律が、古く和讃・踏歌に伴うて起つた。催馬楽・朗詠・今様でこなされて、漢詞章と日本歌謡との音脚・休止から、行の長さまで調節せられる様になつた。国民の内部律動が、さうした音律に叶ふ事が出来る様になつた。其上、此新しい拍子に乗らねば表現出来ぬ内生律さへ生じて来た事である。其代表に立つものは、此時代に完成した宴曲・早歌《サウガ》の一類である。
上元の歌垣が、漢訳せられ、習合せられて、踏歌節《タウカノセチ》となつた事は、疑ひもない事である。さすれば、其|喰《ハ》み出しの部分の、主因となつて、歌合せの形を纏《まと》めて来た径路も察せられる。原則としては、男女入りまじりであつたものが段々姿を変へて行つた。
女房方のあるじぶり[#「あるじぶり」に傍線]で、女房をも番に組む。さうした歌の対抗《アハ》せの盛ん
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