したであらう。彼の雲水生活が此を救ひ、様々の風物・人事に触れさせ、感傷性を鍛へて悲劇的精神を作つた。だから彼の作物のよい物は、蔭に感傷性を蔵して居る。其気分に融しこんだ自然であり、人事であつた。
西行も、人事を詠む時は、自然を受け入れる様にはゆかないで、歌の匂ひを思ひ、たけ[#「たけ」に傍線]を整へ、恋歌じたての作物をとつた。芭蕉が、彼の作物から悟つた「しをり」や「さび」は、悲劇的精神から出たのであつた。わびしい・かすかな・ひそかな心境の現れた作物について言ふ語である。しらべ[#「しらべ」に傍線]を境にして内的に観察してさび[#「さび」に傍線]と言ひ、形式的に感受する静かな曲折の連続を、しをり[#「しをり」に傍線]と言ふのだ。
かうした先輩や、教導者の後に出られたのが、後鳥羽院であつた。万葉の昔から、当代に亘り、すべての歌風と、歌学の伝統を網羅しようと努められ、同好者の間に濃い雰囲気を愈密にしてゆかれた。
そこへ、至尊風のしらべ[#「しらべ」に傍線]が時に出て来ては、新古今風の中に、大がらな味ひを加へた。結局「細み」の出て来る事は稀になつた。当時で言へば、近世の大歌人たる経信以来、皆た
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