水観音の詠と伝へる歌などは、殊に象徴的に響く。本歌がありさうでない処に、沈黙の芸術としての価値も、ある文学論者からは与へられさうだ。だが、此歌は、無知の歌占・尼巫子などの平俗な語彙に寓《やど》つた、放心時の内的律動の姿である。勿論、社会意識の綜合せられた一種の暗示を、唯普遍的な語と句との列りから出した、優越感に充ちた音律で、社会を抱括する様な語感を持つてゐる。而も辻棲の合はぬ空疎な個処がある。
俊成も「しめぢが原」や、住吉の諸作、其他の神仏詠から暗示を得たものらしい。平明な中に、稍寂寥感を寓した、無感激な物を作り出した。此が後進新古今の同人の信条とせられてゐた。此が恰《あたか》も形式万能主義殊に、連歌の影響から、聯想で補ふ句の間隙に興味を持つて来た時である。意義の断続の朧ろな処を設け、又かけ詞・縁語・枕詞などに、二重の意義を持たして、言語の駆使から来る幻影と、本来の意義とを殆ど同等の価値に置く様になつた。
即ち、幻影の不徹底な仮象と、本意のおぼろな理会との、交錯した発想を喜んだのだ。一面、暗示的なのと同時に、描写風な半面がある。外界の現象は即、内界の事実であり、心中の感動は、同時に自然
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